日本の医療マンガ50年史
医療マンガレビュー

人間仮免中

綱渡りのようなあやうさで語られる、〈病〉と〈愛〉とをめぐる壮絶な経験

人間仮免中
キーワード
エッセイマンガ統合失調症自殺未遂顔面骨折
作者
卯月妙子
作品
『人間仮免中』
初出
単行本に初出情報記載なし
単行本
『人間仮免中』(イースト・プレス、全1巻、2012)

※「初出」は単行本のクレジットに基づいています。

作品概要

 借金返済のために過激な企画ものAVに出演しカルト的な人気を得つつ、その経験を描いた『実録企画モノ』(太田出版、2000年)など、エッセイマンガ家としても活躍していた作者。しかし持病である統合失調症が悪化したために、長きに渡りマンガ執筆は中断。約10年ぶりの復帰となった本作は、25歳年上の男性との激しい愛と同棲生活から、衝動的な飛び降りによる片目を失明するほどの顔面の骨折損傷、そして統合失調症の幻覚に苛まれながらの入院治療と壮絶な経験の数々を綴り、たちまち話題を呼んだ。
 多くの読者がWeb上で既に語っているように、本作は読むのに気合いや体力が要るような「しんどい」マンガだ。それは作中の各エピソードの壮絶さだけではなく、それを描き出すマンガとしてのありようにも由来するだろう。片目の失明や服薬の影響によると思われる、過去作と比して遥かに不安定な危うい描線で、しかし突き抜けたかのようにあっけらかんと語られる作者の経験はその揺らぎに読者を巻き込み翻弄する。妄想と現実とが渾然一体となった入院直後の描写などはその最たるものだ。
 だがそれゆえに終盤、退院後のリハビリのなかで内縁の夫や家族・友人に支えられ、作者が「生きてるって最高だ!!」と思えるようになっていく過程は、吹きすさぶ嵐を抜けて晴れ間を覗いたような爽やかさと救いを感じさせる。

「医療マンガ」としての観点

 本作は「医療マンガ」としてまずふたつの顔を持つ。すなわち、統合失調症による妄想や気分の変調、服薬作用をめぐる疾病経験の主観的な描写と、飛び降りによる顔面複雑骨折の外科的治療やリハビリをめぐる、記録的な態度に基づく描写である。
 幼少時からこの病とつきあってきた作者にとって、統合失調症の妄想や幻覚、服薬の叙述は内縁の夫との性愛をめぐる描写とともに、自己の経験をめぐる本作の語りの不可欠な要素となっている。その語りは、病に伴う生きづらさの経験を自身のライフストーリーの一部として有意味化して処理するための、象徴的な手続きでもあるだろう。
 一方、顔面に負った外傷を初めて鏡で見て「すげえ!! 片目 骨ごとずれてる!!! 人間の顔って こんなふうにもなるんだ!!!」「あああどうしよう!! すんげー描きたい!!!」とスケッチするという、本作執筆のきっかけとなる場面に象徴されるような、自己の傷ついた身体を客観視する態度は、自己の傷病を〈描く〉という行為がそれと向き合うための距離や姿勢をとる契機ともなるのだということを示してもいる。
 そして第三の顔として、本作が徹頭徹尾、内縁の夫ボビーとの愛の物語でもあるということも忘れてはならないだろう。退院後のセックスを通じて「自分の顔に絶望せずに済みました」と綴る場面のように、性愛という生の側面がいかに傷病の経験と関わり合うかについても、本作は考えるための手がかりを読者に与えてくれている。

【執筆者プロフィール】

雑賀 忠宏(さいか ただひろ)
1980年、和歌山県生まれ。神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了、博士(学術)。現在、京都精華大学国際マンガ研究センター委託研究員。「文化生産の社会学」の視点から、社会関係としてのマンガ生産やマンガ家に対する社会的なまなざしや、その表象の変遷に関心を持つ。