INTERVIEW
GMな人びと

冨田 泰彦さん

医師・医療監修者

文・構成 落合 隆志

冨田 泰彦さん

脳神経外科および救急医学の専門医として、杏林大学病院で30 年以上にわたり臨床・研究・教育に従事。現在は、救急医学における豊富な経験を基に医学教育学に専念し、多くの若手医師や医療スタッフの育成にご尽力されています。
一方、マンガ『JIN -仁-』や『Dr. DMAT』、NHK の大河ドラマ『龍馬伝』や朝の連続テレビ小説など、現在も数々の作品で、物語のファクトを支える医療監修者としての顔もお持ちです。
医師の専門知識の活用領域を、マンガやドラマといった新しい社会的な領域へと拡大した当事者であり、まさに医療監修のパイオニア的存在と言えます。
今回は、世にほとんど知られていない医療監修者の世界について、お話を伺いました。

杏林大学医学部付属病院総合研修センター副センター長、臨床教授。日本医学教育学会認定医学教育専門家、日本脳神経外科学会専門医、日本救急医学会専門医、日本認知症予防学会認知症予防専門医、認知症サポート医、認知症ケア指導管理士。

医療監修との出会い

はじめに、冨田先生が医療監修を始められたきっかけについてお聞かせください。

 私と医療監修という仕事の出会いは、2000 年に『スーパージャンプ』で連載が始まった『JIN -仁-』(村上もとか、集英社、2000 年第9 号~ 2010 年第24 号)がきっかけです。主人公が脳外科医設定ということで、当時私が所属する杏林大学脳神経外科の主任教授 斎藤先生へ相談がありました。多忙な斎藤先生が当時医局長を拝命したばかりの私に打診してくれたんですね。それがすべての始まりでした。

ある種、運命的な出会いですね。いきなり、マンガの監修と言われて戸惑いはなかったのでしょうか?

 もともとマンガがすごく好きだったんですよ。中でも、医療をテーマにしたマンガに興味を持っていました。父親が開業医だったこともあって、医療に対する興味が自然と芽生えていたんでしょうね。
 13 歳の頃に『ブラック・ジャック』の連載が始まったんです。毎週のように『週刊少年チャンピオン』を買って読んでいました。私の世代は、まさに手塚治虫の『ブラック・ジャック』直撃世代になりますが、思い返すと、幼少期にも人体学習マンガ的なものを夢中になって読んでいた記憶があります。
 そんなわけで、『JIN -仁-』の依頼が来たときは、すぐに「やってみたい!」と思いました。

『JIN -仁-』における医療監修の挑戦

『JIN -仁-』では医学史の大家である酒井シヅ先生、幕末の歴史に詳しい大庭邦彦先生、そして医療監修として冨田泰彦先生の3人の専門家が監修を担当している。(編集部補足)

『JIN -仁-』は現代の医師が江戸時代にタイムリップする時代劇です。江戸時代の医療技術を現代の知識でいかに表現するかという挑戦ですが、冨田先生にはどのような役割が求められたのでしょうか?

 最初に監修を依頼される際に、村上もとか先生がおっしゃっていた印象的な言葉があります。それが、「展開としての大嘘はつくけれど、小さな嘘はつかないようにしたい」という言葉でした。タイムスリップという大きな展開はしておきつつ、細かな医学的表現には嘘をつかないことでリアリティを保つことができる。私に期待された医療監修の役割はそこにありました。

確かに、幕末の世界観の中でフィクションの中でのリアリティを支える医療監修が見事に組み合わさった作品です。具体的に、どのような監修作業だったのでしょうか?

 正直すべて手探りでした。まず、私が担当したのは、ネーム原稿のチェックです。ストーリーやキャラクターのセリフ、絵が医学的に不自然ではないかを確認し、医事的・医学的に不正確な部分を指摘します。
 仁のセリフは現代の医師が聞いても不自然ではないように、医事的な正確性はもちろん、患者さんを思う医師ならばどんな言葉を使うだろうか?というようなことも考えて指摘をしていました。

我々が想像していた「医療監修」より、かなり製作側に踏み込んだ関わり方に見えます。

 マンガの「医療監修」そのものが手探りでしたので、私も、医事考証と時代考証、医学的専門資料の提供、自身の医療経験に基づくエピソードの提供、医療シーンのアドバイスなど、自分でできる範囲のことはなんでもやりました。
 実際に原案的な役割もあったと思います。「チームJIN」という名の下、村上もとか先生、編集者、監修者が集まり、飲み会を兼ねた打ち合わせでストーリーの展開やネタの共有をしたことなどは非常に良い思い出です。

江戸時代の輸血を監修する。時代背景に基づいた医療技術の限界と物語のリアリティ保全

小さな嘘をつかないという医療監修の観点で、印象に残っているエピソードがあれば教えてください。

 2つあります。1つは、輸血を巡る一連のエピソードです。現代では当たり前のように行われる輸血ですが、輸血の歴史を調べると、ラントシュタイナーがABO 血液型を発見したのが1900 年になります。輸血が一般化されるのは第一次世界大戦(1914 ~ 1918 年)前後にかけてです。
 仁の舞台は1862 年。普通に考えて江戸の医療技術ではまず難しいことはすぐに想像できました。では、マンガとしてリアリティを持たせるために、どのように描けば読者に納得してもらえるだろうと考えなければなりません。

(参考)輸血の歴史

1828年

イギリスのブランデルが、出血多量の産婦に夫の血液を投与し、ヒトからヒトへの輸血の成功例を報告。

1900年

オーストリアのラントシュタイナーが血液型(A、B、O 型)を発見し、翌年AB 型が追加される。

1914-1915年

クエン酸ナトリウムの抗凝固作用が認められ、第一次世界大戦中に保存血として使用される。

1919年

第一次世界大戦後、野戦病院視察医師団(九州大学後藤教授と東大塩田教授)がクエン酸Naと欧米式輸血器を持ち帰り、輸血を実施。

1930年

浜口雄幸首相が東京駅で暴漢に襲われ、東大病院で輸血と開腹手術を受ける。

1940年

Rh 式血液型が発見される。

 輸血をめぐる一連のエピソードにおいて、主人公の仁は、川越城主の奥方の瘤(診断名:耳下腺腫瘍多形性腺腫)の摘出術を行う。失敗が出来ない手術。奥方に貧血があるため、輸血の必要性を考えた仁は遠心分離機を作成し血液型を同定して臨むが、実際に輸血をせずに手術は成功する。しかし、その帰途、仁は怪我をした子供の緊急手術をすることになる。(編集部補足)

マンガのエピソードでは奥方様の手術では輸血はしないで済むわけですが、その後、小児腹部外傷(出血性ショック)の子供へ、救急救命のための緊急輸血をしなければならない状況に突然追い込まれることになります。

 ちなみに、現代医学の観点からいうと、最初の奥方の手術は今でいう予定入院で、救急医療の緊急入院ではないという見立てです。仁は万が一に備え輸血の準備を整えますが、実際に奥方の手術では輸血をしないで済むわけです。しかし、その後の子供はまさに救急救命の話で、救命のために直接輸血をせざるを得ない切迫した状況になるのです。

 個人的な話ですが、このエピソードの監修中に、私は脳外科から救急医療に異動しており、私の救急医療の現場経験と知識が監修に役立ったエピソードでもあります。
 20 世紀以前に輸血をしたという歴史的事実を調べたところ、イギリスのジェームス・ブランデルという産科医が輸血を試みたことが、1828 年のLancet(世界的な医学雑誌)に掲載されていることがわかりました。ABO 式が発見される前のことですので、成功率は低かったことでしょうね。
 村上先生には、19 世紀初頭に実際に輸血が行われていた方法があるのであれば、江戸時代でも可能でしょうという医事考証をお伝えしました。
 結果として、時代背景に基づいた医療技術の限界を描きながらも、物語のリアリティ保全に貢献できたと思っています。

この論文内でブランデルは1818 年にヒトからヒトへの輸血に関する実験を行い、血液の凝固を防ぐための迅速な手技や、静脈内への空気の混入を避ける重要性を報告している。

芋煮汁と米の研ぎ汁で青カビを培養する!? 江戸時代のペニシリン抽出を監修する

ペニシリンのエピソードは読者にとっても非常にインパクトのあるシーンでした。

 江戸時代にペニシリンを作るなんて普通はありえませんよね(笑)
 最初に江戸時代にペニシリンって作れないでしょうかと、編集者と村上先生に言われた時、反射的に難しいんじゃないでしょうかと答えました。
 仁がペニシリンを抽出するのが1862 年なんですが、実際にペニシリンを発見したイギリスのアレキサンダー・フレミングに先駆けること65 年です。ちなみに発見者のフレミングとペニシリンの精製に成功したフロリーは共に1945 年にノーベル医学生理学賞を共同受賞している、我々にとってもすでに歴史上の人物です。
 マンガの中では、この史実を知っていたであろう仁が、江戸時代の条件下でどうやってペニシリンを精製していくかがポイントになりました。

医療監修の役割から考えると、血液の緊急医療とは異なり、ペニシリンの抽出は先生のご専門外の知識が必要ではないかと思われます。

 はい。ペニシリンの監修となると、薬学をベースに、微生物学、有機化学や生化学などの領域にまたがります。残念ながら、私の専門知識では解決できない問題でした。しかし、医療のネットワークと人脈があります。そこで、さまざまな伝手を使って本件の専門家を探すことにしたのです。
 当時、仕事柄面識のあった製薬企業の担当MR さんに相談したところ、当時の北里研究所抗感染症薬研究センター(現・感染制御研究センター)の花木秀明センター長とつながることができました。
 江戸時代当時入手可能な材料で実現可能だろうかという問いに対する花木先生のお返事は、「理論的には可能です」とのことでした。
 芋煮汁と米の研ぎ汁の液体培地や、菜種油と炭を使ったカラムクロマトグラフィ手法は、花木先生のご協力のおかげで生まれたわけです。

実はこのペニシリンのエピソードには20 年後の後日譚があるそうですが…。

 2021 年、第12 回南部陽一郎記念ふくいサイエンス賞において、北陸高等学校2 年生(当時)の研究「青カビから天然ペニシリンⅡ」が最優秀賞に輝きました。培養液をマンガの方法から変更するなど創意工夫を絡めつつ、『JIN -仁-』の方法を検証改良して、江戸幕末期に生成できたという証明をしてくれたのです。
 発表から20 年近く経った後に、全国的に学生の関心や自由研究に波及したというエピソードは、監修者として大変嬉しいニュースでした。*
 コロナ禍でのドラマの再評価もありましたが、医療マンガ『JIN -仁-』の再評価や若い世代への影響が続いている点は、単なる「医療情報」の枠を超えた「物語の力」があるからこそです。その中で、村上先生のおっしゃった「大きな嘘はついても小さな嘘はつかない」というマンガ制作の心構えが、専門家の知識を集約した監修によって作品に付与され普遍的な価値を生み出したとも思うのです。

* 村上もとか 著、弥生美術館 編『村上もとか:「JIN -仁-」、「龍- RON -」、僕は時代と人を描いてきた。』p.45、河出書房新社、2022年

《その他、先生の監修マンガ作品》

『Dr. DMAT ~瓦礫の下のヒポクラテス』(原作:高野洋、漫画:菊地昭夫、集英社、2011 ~ 2016 年)
『神様のカルテ』(原作:夏川草介、漫画:石川サブロウ、小学館、2010 ~ 2011 年)
『33 歳漫画家志望が脳梗塞になった話』(あやめゴン太、集英社、2017 年)

マンガの医療監修からドラマの医療監修へ

現在、マンガを原作とした医療ドラマが数多くつくられています。『JIN -仁-』で先生は原作・ドラマ(TBS)双方の監修を担当されています。マンガとドラマにおける医療監修のアプローチに違いはありますか?

 『JIN -仁-』を例にすると、同じストーリーでも、マンガとドラマでは監修としての関わり方はかなり異なりました。あくまで私の経験上ですが、マンガの場合は打ち合わせをしながら進めていくのが基本でしたが、ドラマではよりリアルな分、医学的な資料提供の必要性が増します。情報を補完する形で打ち合わせや、時には収録現場に行くこともありますが、ドラマの医事考証の7、8 割は、メールや医療打ち合わせ(コロナ禍以降はWeb 会議)で済みます。

撮影現場に行かれることはあったのでしょうか?

 撮影現場に呼ばれるのは、手術などの医療シーンの撮影時です。TBS の『JIN -仁-』の時は、正直、医師としての本職に支障が出そうなくらい現場に呼ばれました。手術シーンは私がスタントで担当もしています。
 業界用語でいう「てっぺん越え」(深夜零時を回ること)は当時ではざらでしたし、「収録が28 時あがり」なんてこともありましたね。

NHK 大河、朝の連ドラ等で、冨田先生のお名前を見ない月がないほどのご活躍です。先生が医療監修を担当された作品群を見ると、本当に大変な作品数ですね。

 いただいた目の前の仕事をこなしてきただけですが、はて、どうして私はこんな風に医療監修をするようになったのだろうかと改めて振り返ってみると、色々なことがつながってきます。
 結果として、学び磨いてきた医療の知識をさまざまな作品に活かすことで社会に貢献できているのではないかとも感じています。そして、それは現在の私の医療者教育に携わる立ち位置につながっているのだなと思うのです。

冨田先生の監修ドラマリスト(一部抜粋)

医療者教育におけるマンガの活用をめぐって

現在、冨田先生は大学で医学教育を担当されています。医療マンガやドラマは若者が医療に興味関心を持つきっかけになっていると感じますか?

 実際に、マンガ原作やドラマが医療人を志すきっかけになったという若者は少なからずいます。実際に『JIN -仁-』がきっかけで医師や脳外科医を目指したという学生がいました。彼と出会ったときは、この作品を監修したことに感謝の気持ちで満たされました。また、私の関わったドラマを見て、医師・看護師等になりたいというコメントを番組SNS で複数拝見したこともあります。私の知識や経験が作品の監修という形の中で、自分自身の想像を遥かに超えて社会に広がっているのを感じました。

日本の医学部教育において、具体的なマンガの活用事例があれば教えてください。

 コロナ禍で開催された日本医学教育学会で医療マンガを役立てようとするセミナーがきっかけで、医療現場で実際に役立つ場面やケーススタディをマンガ化しようというプロジェクトが立ち上がりました。例えば、医学生が臨床実習に入る際の問題や、実際の医療現場で見かける不適切な行動など、64 のエピソードをマンガにした1冊のペーパーバック『漫画なら64』に原案2つを提供しました。
 教員が教えるための教材ではなく、学習者が読んでグループディスカッションしていく中で、見識ある医療文化が学生の中に根付いていくことを主眼としています。学生にも好評で、アクティブラーニングの一環として活用しています。

グラフィック・メディスンもまた医療者教育を目的としてスタートしたムーブメントです。ズバリ、マンガは医学教育に適した媒体でしょうか?

 ストーリーやイラスト、マンガ、動画を活用した教育手法は、医学教育において合理的かつ効果的であると考えています。これらのメディアが提供するエピソードによる感情を伴う疑似体験は、理解しやすく記憶に残りやすいわけです。
 ナラティブ・メディスン(患者の物語や経験を医療に活かすアプローチ)やシネメディケーション(映画や映像を使った医療教育)を取り入れることで、医学生たちに患者や症例に対する深い理解を育むことができます。また、シミュレーショントレーニング(模擬体験を通じて行う実践的な訓練)などの実践的な学びと組み合わせることで、理論と実践の架け橋となり、教育効果を高めることが可能です。

最後に、医療監修のパイオニアとして、これから医療監修を目指す医師や専門職に向けたメッセージをお願いします。

 これまで、私が享受した医療監修がもたらした満足感や達成感を考えると、その根本には診察室の枠を超えた社会貢献にあると感じています。
 医療監修という仕事は、医師としての知識や経験を診療以外の場面で活かすひとつの方法です。医療監修は単なるファクトチェックではありません。医療監修はまだ発展途上の分野ですが、自身の持つ専門知識が物語にリアリティを加えるだけでなく、多くの人に医療への理解を広める大切な役割も果たしています。
 正直なところ、医療監修の報酬は医師のそれとは比べものになりませんし、医療監修で生計を立てることは難しいと思います。ただ、自分の知識が作品に反映され、多くの人に影響を与えていく達成感はかけがえのない監修者のやりがいのひとつです。
 これから医療監修をやってみたいと考える皆さん、挑戦する価値がある仕事であることは断言します。