ミカヅキユミさん
イラストレーター
聞き手:中垣恒太郎
構成:落合隆志
- 耳が聴こえない女の子が誕生する場面から描かれ、とりわけお母様の視点から物語を描く試みであることを興味深く思います。
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母親の視点で自分の生い立ちを振り返ったときに、強く感じたことがあります。
それは当時の聾学校の教育方針についてです。私は聴覚障害教育の歴史について専門的な知識がありませんので意見を言える立場ではないかもしれませんが、一当事者として、それをお話させてください。母は私が聴こえないとわかったときに、育てるためには手話が必要になるのかな?と考えたそうです。ですが、結局は当時の聾学校の教育方針によって、国から推奨されていた口話での教育を選択しました。
そのことを知ったときに、なんとも言い難い衝撃を感じました。【もしかしたら母は、うちの両親は、手話で聴こえない子どもを育てるチャンスを奪われたのではないか?私にも、手話で育つチャンスはあったのではないか?】
聴こえる親は、聴こえない子供をどうやって育てればよいのか、まず情報を集めると思います。文化的視点でのデータが少なく、医学的視点でのデータ・情報が圧倒的に多い中で、さらに幼児教育関係者や医療関係者など専門の知識をもつ方々の見識に触れ、推奨された方向に気持ちが傾いてしまう状況は、なんとなくわかるような気がします。
幼いころの私は、周囲からは口話教育が成功した例として見られていたように思います。
聴者の世界でうまくやれているように映っていたかもしれませんが、読唇(相手の口を読み取る)や発話(自分が発声する)による「口話」は、長い目で見たときに、私と社会を本質的な意味で結び付けてくれるものではありませんでした。
読み取りにくい口形の人もいますし、私の発音が通じない人もいます。
親しい相手と一対一でのやり取りはなんとかできても、そこにひとりふたり加わり複数人での会話となると、もはや、機能しません。また、わからないのにその場をしのぐためにわかったふりをしてしまって、トラブルが発生することもありました。大人になって手話を身につけてからは、手話や筆談でやり取りする方が確実だなと思いました。
しかし、口話がきっかけで繋がった縁があることもまた事実です。自分の中で矛盾や葛藤を感じつつ、それも全部ひっくるめて「私」ですし、これまでの出会いや経験が今の自分を作ってくれたと思います。 - 他にも、自伝的マンガの制作を通して新たな発見や気づきなどはありましたか?
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『かげひなたに咲く花』を描いたことは、聴こえない子どもたちが自分らしさを失わずに、伸び伸びと生きられる世の中にしていくために、私には何ができるのだろうと考えるきっかけになりました。
聴こえない子どもが生まれたとき。
その親に対して、医学モデルに基づいた情報と文化モデルに基づいた情報を、同等に価値があるものとして提示してほしいのです。
双方の科学的データ、ケア、受けられる支援、コミュニティへのアクセスなどの情報が、偏ることなく親子のもとに届いてほしいのです。
また、補聴器や口話、人工内耳を選択した場合でも、手話や、ろうコミュニティに気軽にアクセスできるような環境を作ってほしいのです。
そういった環境を整えて「聴こえないことは不幸ではない」ことをベースとして、聴こえない子どもをどう育てていくか選択できるような時代になってほしいなと思います。私自身の経験をふまえ「聴こえないことは誇りです」「手話も必要です」と、当事者のひとりとして示していきたいです。そのツールのひとつとして、マンガやイラストという形で発信していきたいです。
- これから新たに挑戦してみたいマンガ作品があれば、教えてください。
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台詞のないマンガなどオリジナルストーリーも作ってみたいですし、ジャーナリズムとマンガを結び付けられるような、なにか面白そうなことをやってみたいなと思っています。
- 読者からの反応で印象深いものはありますか?
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「自分がずっと抱えていたモヤモヤを言語化してもらえたような気がします」と言っていただいたときは、描いてよかったなと思いました。
また「聴こえない人の物語だけれど、あらゆる場面に置き換えてイメージしやすい」「心理描写がわかりやすい」という言葉も印象に残っています。
マンガを通して、読者さんに「聴こえない人ってこんなに身近なんだ!」と親しみを感じてもらえたらうれしいです。 - 耳が聴こえない方が描かれているドラマについて、その描かれ方について、注目している作品があれば教えてください。
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ドラマはちょうど『星降る夜に』を毎週楽しみに見ています。(本インタビューは2023年2月に行いました)
これまで聴覚障害者や手話を扱ったドラマは「聴こえないことはかわいそう」という、聴者が勝手に作り上げたろう者像が描かれることが多いイメージですが、この『星降る夜に』にはそれがなく、自然に日常のなかにろう者が存在しているような撮り方をしていて、これは斬新だなと思いました。今後もどのような描かれ方がされていくのか注目していきたいと思います。
主人公の祖母や手話講師などのろう者役を、実際のろう者が演じているのはとても嬉しいことですね。主人公もろう者であるという設定なので、こちらもろう俳優に演じてほしいような気持ちも少しありましたが、今回は物語を見ているうちに北村匠海さんの演技を応援したいなという気持ちが芽生えてきています。
字幕メガネが出てきたり、LINEのやり取りが画面にぴょこぴょこ出てくる演出もテンポがよく面白いなと思いました。
カメラワークについては、手話が途中で見切れてしまったり、体に隠れてしまって見づらいシーンが少しあるように感じます。途中で手話が消えると、そこの部分だけ虫食いパズルのように言葉が消えてしまったような感覚になるのです。手話の台詞があるのなら、最初から最後まで手話がはっきり見えると嬉しいなと思いました。
ただ、人物の配置や、演出、背景などと合わせるとなると難しいのかもしれませんね。見せ場によって構図や人物の見せ方を優先するか、手話がはっきり見える撮り方を優先するか…といった制作者側の意図や判断があるんだろうなと感じました。
手話がはっきり見えて、かつ人物や構図など他の表現したい要素もばっちりおさまるような、欲張りなシーンを見てみたいですね。 - 耳が聴こえない方が描かれているマンガでおすすめの作品はありますか?
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横谷順子さんの『きみの声 ぼくの指』をおすすめしたいと思います。
耳が聴こえない女の子が主人公なのですが、この子のキャラクターがとっても良いんです。明るくて負けず嫌いでさわやかで。20年ほど前のマンガなのですが、作者さんの真摯な姿勢と、手話やろう者、そしてろう者と関わる方々に対する敬意がよく伝わってくる作品です。
主人公とお父さんの関係にグッと来たり、主人公の仲間にコーダや手話通訳者がいたり、盲の方との交流だったり、欠格条項(障害などの理由で一律に資格や免許を与えないこと)にも触れていたり、濃厚なのに特別視することなくサラリと表現されているところが絶妙だなと感じます。読んでいて気持ちがいい貴重な作品だと思います。現実では実現が難しそうな「こんなエピソードがあればいいのに、こういうふうになれたらいいのに」という願いを、マンガの中で少し叶えてもらったような感覚になりました。
昔のマンガなので、現在とは異なるところもありますが、古さを感じないんです。
現在の社会と私たちの関係をあらためて見直してみると、昔とは変わった部分もあれば、何十年経っても変えるのが難しい部分もありますね。それを少しでも良い方向に変えていくために、声をあげ続けていきたいなと思いました。 - 近年、耳が聴こえない方を主要人物に据えた物語のブームとも言える現象をどのように捉えていらっしゃいますか?
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純粋に作品として物語を楽しんでいる自分と、当事者目線で見ている自分と、その様子を俯瞰して見ている自分がいて、なんとも奇妙な感覚になります。
ブームという意味では、我々の存在を認識してくれているんだなという嬉しさと、またすぐに忘れ去られるかもしれないという虚しさが同居しています。
手話やろう者に興味を持ってもらうきっかけにはなると思います。ただブームが去った後も、「わかりあえなくともわかりあいたい」と、共に心を砕き続けることができる方は、そのなかにどれくらいいるのでしょう。
一時的なブームで終わるのではなく、当たり前のこととして根付いてほしいなという思いがあります。
一方で、聴覚障害者の多様性に触れつつ、誇りをもって生きているろう者像が描かれる作品が少しずつ増えてきたように感じます。
また、制作者と当事者とで相当意見交換をしたのだろうなと感じられる場面や、当事者に対するリスペクトが感じられる場面も見えてくるようになりました。
制作者側の「表現したい景色」と、当事者の「見ていて心地よく感じる表現」が一致するような場面に出会えると、感動しますね。ろう俳優の活躍だけではなく、手話監修、手話指導、手話翻訳、ろう考証やコーダ考証、現場での手話通訳も目にするようになりましたし、このように当事者や当事者と深い関わりを持つ方たちが仕事として制作現場に携わっていることがはっきりと見えるようになったことは、大変喜ばしいことだと思っています。
以前からあったのかもしれませんが、より具体的に、誰が何を担当したのかが明確になってきているように感じます。これはSNSの普及により、制作に関わった当事者が自ら発信できる場が増え、情報が入りやすくなった点も大きいのかなと思っています。
きっと、現場にいる人間にしかわからないことがたくさんあると思います。
しかし私は、期待したいのです。
そこで結ばれた縁が、現場にいる多くの方の意識を変え認識を変え、今後に繫がる新たな物語を作ってくれるのではないかと。我々は、ブームになるずっと前も。今も。これからも。ここに存在しています。
- ありがとうございました。