落合隆志さん
医療系出版経営者
日本グラフィック・メディスン協会代表理事
グラフィック・メディスンの観点から興味深い活動をされている方を紹介する「GMな人びと」。
今回ご紹介するのは、医療系出版の経営者で日本グラフィック・メディスン協会代表理事を務める落合隆志さんです。
グラフィック・メディスンと医療人文との関係性、おススメの意外な「医療マンガ」とは?
- 簡単に自己紹介をお願いします。普段はどんなお仕事をなさっているのでしょう?
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普段は医療系専門出版社と医療系編集プロダクションの2社の代表取締役をしています。
経営を学ばれたのですか?とたまに訊かれますが、生粋の文学部です。
大学の仏文科を卒業し、就職活動もせず、“のんしゃらんす”なフランス留学をしました。1990年代半ばのフランスはジャパニメーション草創期で、近所にあったオタクショップの常連たちと仲良くなりました。テレビでは『セーラームーン』と『ドラゴンボール』が流れ、本屋には木城ゆきとの『銃夢』の仏訳が平積みになっていたことを覚えています。ちなみに、あの名台詞「月に代わってお仕置きよ」のフランス語版”Au nom de la Lune, je vais te punir!”(月の名において、汝を罰する)が留学で覚えた最初のフランス語です。『ブラック・ジャック』のOVAの上映会をして同時通訳しろと言われた時は困りました。シリアスな医療解説が多いアニメだったのです。そもそもの日常会話がおぼつかないのに、脱水症状(Déshydratation)なんてフランス語は知りませんし、soif、soif(喉が渇く)と連呼していたことを思い出します。
無計画な遊学だったせいで早々に資金が底をつき帰国。中途半端な語学を活かせるはずもなく、たまたま求人誌で目についた医療系出版社に縁あって、お世話になることになりました。そこから出版に興味を持つようになって医療関連の雑多な知識を身につけ、いつのまにか出版社を起業して20年になります。
- 落合さんの日本グラフィック・メディスン協会での立場を教えてください。
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代表理事という立場を務めています。分かりやすく言うと、裏方・事務方の代表です。
表の代表である中垣さんのように体系立てた知識も物事をアカデミックに探索する方法論も持ち合わせていませんが、20年に渡る医療出版での経験を活かして、医療と人文の双方向にバランスをとった協会運営を任されています。患者を取り巻く環境や医療提供側の人たちのものの見方や事情を見てきた中で、現在の私の興味は、患者のナラティブ(自身についての語り)を医療者側に届けるための方法論にあります。その方法として、グラフィック・メディスンは最適解ではないかと考えています。 - 落合さんが経営されているさいかすでは、どのような本を出版されているのでしょう?
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医書の中でも、語学の話、患者さんの話、医療制度の話など、比較的専門性のライトな分野をターゲットにしています。
フラッグシップの『トシ、1週間であなたの医療英単語を100倍にしなさい。できなければ解雇よ。』は小説を読みながら医療英単語を覚えられるというシリーズの第1作で、売り上げ部数は専門書としては異例のシリーズ総計10万部に迫る勢いです。このシリーズでは私が福島県出身ということもあり、東日本大震災5年目に福島の震災・放射線に関連する英語表現をまとめた本も作成しています。出版社社長から執筆・翻訳陣まで福島出身か福島で仕事をしている人間が揃い、風化対策として出版という形で新しい支援ができないかという検討からスタートした企画でした。書籍として成功したかと言われれば否ですが、東京オリンピックに来訪するはずだった世界からのお客に、日本人が福島の放射線問題を日本の事、すなわち「自分事」としてきちんと説明できるような本を作ろうと思ったわけです。当時感じた「当事者感覚」との向き合い方は、その後の患者や患者家族という当事者との向き合い方、そして当事者になる前の状態である我々の感覚に活かされ、グラフィック・メディスンにつながってきています。
グラフィック・メディスンのアプローチとは異なりますが、専門書籍へのマンガの導入は早くから行っており、霞が関のお役人に人気だったという『マンガ医療政策ニュース』シリーズや、学生を集めて社会保障の哲学カフェを実施した様子をマンガ化した『社会保障、はじめました。』などがあります。 - さいかすは「日本で唯一の医療人文専門出版社」とのことですが、そもそも「医療人文」とはどのようなものなのでしょう?
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医療人文学(Medical Humanities)という学問の定義もあるようです。
これはあくまで私の出版の経験則に基づく考えなので、そうした定義とは異なるものと理解してください。
ある時から、私は医療現場の登場人物におけるさまざまな概念を、「個」と「平均値」という二項対立を軸に見てきました。医療は基本的に「個」を扱うものです。しかし、自然科学としての医療には、いわゆるエビデンスという一般論が必要です。できる限り多くの「個」を集めて、統計を使った妥当性の高い「平均値」で語らなければならないという宿命があります。
これを病院での風景に置き換えると、多くの患者が実際に医療現場で感じる「ある感覚」に通じます。パソコンの画面ばかりをみて、自分を見てくれないお医者さん…そんなイメージが思い浮かびませんか?患者自身は「私」の話をしているのに、医師は「患者さん」として平均値で見ています。
パソコンの画面をみる医師、自分を見てくれないと感じている患者。
このステレオタイプのイメージには、見えない「個」と「平均値」の壁が生じていると思うのです。「個」として見てほしい患者は、自分が患者という「平均値」でみられていることを肌で感じ取っているのです。自分という物語を読んでほしいのです。
人文学において、患者と医師、両者の小さな違和感は、マンガに限らず多くの医療をテーマとした作品でも取り扱われています。
翻ってみると、医療の扱う「個」は、非常に人文的な振る舞いをすることに気づきます。
例えば、同じ薬を飲んでも効果が異なることは誰もが実感するところです。それはあたかも同じ物語を読んでも個人の受けとめ方が違うように。
「平均値」の医療が「個」に還元される時に、必然的に人文的な「個」と結びつこうとします。おそらく標準治療の「平均値」としていったん隠された「個人差」が、実際に「個」に還元される時にあらためて表出するのでしょう。
医療のコミュニケーションの改善・再生のために、医療の扱う「個」と人文的な「個」が重なることを示し、自然科学的な「平均値」との対立を解消するための武器、それが私にとっての医療人文です。 - 医療人文専門出版社を経営する立場から、落合さんはグラフィック・メディスンにどのような可能性を感じておられますか?
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私が考える「医療人文」が、「一般的患者」という概念を嫌うグラフィック・メディスンと結びついたのは至極自然なことだったと思います。
患者を「個」として捉え、それぞれの患者の物語に耳を澄まそうとする動きとマンガという媒体が持つ表現力が結びついたムーブメントが、グラフィック・メディスンなのですから。
グラフィック・メディスンの考え方については、代表の中垣の記事をご参照ください。医療の現場は「専門性」と「ポピュラリティ」が混ざりあう空間です。
標準化という平均値の中にひとりひとりの患者が存在し、エビデンスと共に患者や家族の物語が存在します。これは対立構造ではなく、両立するものだと思います。
グラフィック・メディスンをはじめとした医療人文は、「専門性」と「ポピュラリティ」の垣根をなくし、日本の医療と患者の距離をゼロにする力を秘めていると考えています。