北川なつさん
マンガ家、イラストレーター、絵本作家
文・構成:落合隆志
今はまだまだ元気だけど、ふとした時に歳をとったなぁと自分の親に感じる。
いずれ介護をする時が来るのは間違いない。自分の親も認知症になったりするのだろうか。そもそも、自分もどうなるかわからない。
漠然とした不安を持ちはじめても、何かが起きるまではなかなか行動に起こせないものだ。
親がまだ元気なうちに、親の介護を親と一緒にリアルに考えたい、でも、そんな機会はそう簡単には持てない。
そんな悩みを持つ世代にとって、北川なつさんの『親のパンツに名前を書くとき』(実業之日本社、2020)は、家族が揃って読むことで、一緒に介護のことを考えるきっかけを作ってくれる作品です。
北川さんの作品にはさまざまな立場の人間が登場します。認知症の当事者、介護をする家族、介護現場で働く方、登場人物たちに投げかけられる北川さんの視点には共通したやさしさがあります。
そのやさしい作品はどのようにうまれてくるのか、お話を伺いました。
北川なつ プロフィール
1995年ヤングアニマル(白泉社)でデビュー。『親のパンツに名前を書くとき』(実業之日本社、2020)等、介護をテーマにした作品を中心に多数出版。特別養護老人ホームやグループホームでの勤務経験があり、介護福祉士、ケアマネジャー、ホームヘルパー2級の資格を持つ。
- 子供の頃からマンガ家を目指されていたのですか?
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子供の誕生日に手形を押す記念カードみたいなものがありますよね。4歳の誕生日カードに手形と一緒に、大きくなったらなりたいもの「まんがか」と書いてあるんです。
でも実際はなんとなく絵が好きな程度で、授業中にノートや教科書に落書きするぐらいでした。興味はあっても田舎じゃマンガを描く道具も売っていない。家にこもって絵を描くよりも、自分で切り出して作った竹竿で、釣りばかりしているような子供でした。中学から大学まで体育会系の部活に打ち込み、ほとんどマンガを描かずに育ちました。 - 大学を卒業されてからマンガ家を目指されたわけですが、マンガと向きあうきっかけは何があったのでしょうか?
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大学時代、大好きだった漫画の一つが『家裁の人』(作・毛利 甚八、画・魚戸おさむ、小学館、ビッグコミックオリジナル、1988)でした。そして当時、僕は空手道部に所属していたのですが、一つ下の後輩も『家裁の人』の大ファンだということを知り、意気投合しました。家庭裁判所を舞台にしたマンガで、彼女はその影響で法曹関係の仕事に就きたいという夢を話してくれました。
その後輩が、不慮のバイクの事故で亡くなってしまったんです。
棺の中に『家裁の人』を入れた時に、ふとマンガが人間に影響を与える力というか、マンガの凄さみたいなものを感じました。そして、子供の頃、マンガ家になりたいと思っていたことを思い出したんです。そこで大学を卒業してから、本格的にマンガ家を目指すことにしました。 - 1995年に見事20代前半でマンガ家デビューされていますが、一時期マンガ家を引退されていますね。
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デビューして1年ほど連載をした後は、読み切りや原作を細々と書いていました。大学を出てわりと早くデビューできたのですが、青年誌という舞台でマンガ家を続けるには社会経験も乏しく、絵だけで勝負できるような画力もありませんでした。机にひたすら向かって、頭の中だけで人間を動かし、ストーリーを考えてマンガを描く日々でした。
そんな時期に病弱だった飼い猫が、何度も亡くなりかけては復活するということを繰り返していました。飼い猫の生命力と、必死に頑張ってくれる動物病院のスタッフの皆さんの姿を見た時に、私にとってはリアルではなかったマンガ家の仕事に終止符を打って、リアルに人と動物が関わる仕事を目指す決心をしました。
すぐに数年前から気にはなっていた、セラピードッグの専門学校に通いはじめました。セラピードッグが活躍する場所は高齢者施設や障害児施設が多いのですが、現場経験と知識、生活費と学費を稼ぐという一石二鳥の理由で、高齢者介護の施設で働き始めました。学校卒業後は結局、動物関係の仕事には就かずに、そのまま介護職を続けました。
何年もやっていくうちに介護職の現場で責任ある立場を任せられるようになり、現場の実情と世の中の見方の違いが気になっていました。介護や認知症に対する世の中の偏見、それが少しでも変わるために何かできることはないかと思った時に、自分はマンガを描くことができることを思い出しました。そこで介護職をしながら、介護現場の本当のところをブログを使って発信していくようになったのです。ブログにはたくさんの人がコメントをくれ、それがやりがいにつながっていきました。 - 北川なつというペンネームはブログ時代から使われているんですよね?
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はい、北川なつ名義は介護マンガを描くようになってから使っています。ほとんどの方は女性の描き手と思うようです。初めて直接お会いした人は、ほぼ100%驚かれます。ちなみに北川は僕が育った町の名前。「なつ」はさきほど紹介した売れないマンガ家時代を共に過ごした飼い猫の名前です。夏の暑い時期に家の前で保護したので、オスでしたが「なつ」とつけました。最初から病弱で目もあまり見えていないように見えましたが、9年間生きました。飼い主の自己満足ですが、この世からいなくなっても、「なつ」という一匹の猫が、一人の売れないマンガ家の心を支えていたよという証を残したくてペンネームにしました。
実は性別があいまいなペンネームにしたことには、もう一つなんとなく理由があります。介護がテーマなので女性の読者も多いかと思いますが、男性が描いていると思うと、例えば利用者さんから暴力を振るわれるような場面でも、男性だから怖さわからないよね。とか、力があるから身体介護の辛さ、女性のようにはわからないよねとか、性別による変な先入観を持って欲しくないなというのがありました。今にして思えば、どうでもいいことかもしれませんが。 - 介護をテーマにしたマンガ作品も増えています。北川さんが影響を受けたり注目されている作品やマンガ家さんはいらっしゃいますか?
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私が勝手に感謝しているのは、『ペコロスの母に会いに行く』(西日本新聞社、2012)の岡野雄一さんです。この作品は、介護や認知症をテーマにしたマンガでも、描き方次第で読者の興味を引くのだ、売れるんだという、道がなかったところを切り拓いてくれたマンガです。
私は初め、自分の描いたマンガ170ページくらいをコピーして、介護関連の本を出版している会社、全部と言ってもいいくらい片っ端から送ったのですが、「介護の漫画は売れない」という出版界の常識?と、それに輪をかけて僕が無名だったので、作品そのものは評価してもらえるところはありましたが、出版となると良い返事はいただけませんでした。それがペコロスのヒットの前後で、風向きが変わったような気がします。そんな恩のある『ペコロスの母に会いに行く』ですが、読ませていただいたのは、発売から数年経ってからです。購入はしていたのですが、これだけヒットしたということは面白いに違いなかったので、読んで自分の作風が影響を受けるのを恐れたからです(笑)。
もう一人好きなマンガ家さんをあげるとすれば、『家でのこと ―訪問看護で出会う13の珠玉の物語』(医学書院、2021)の高橋恵子さんです。高橋さんの作品は、絵も言葉も繊細ですごくいいです。僕にはぜんぜん描けないタイプの絵で、心のままに色をのせ描かれたような自由な絵は、筆に翼が生えているかのようです。言葉は、しもやけだらけの手に渡された手袋のようです。同じように介護職を経験されていて、個展をされたり、医療介護雑誌の表紙を描かれたりもしています。 - 介護の専門誌等で、専門家を読者対象としたマンガも描かれています。一般の読者層とは描き方に違いはありますか?
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基本的には、介護関係の仕事をしている人、家族の介護をしている人、介護とは無縁な人、誰が読んでも理解できるもの、共感できるものになるように心がけて、信じて描いています。
介護のことでニュースになるのは、介護殺人だったり、介護職の虐待だったり、悲惨なものが多いです。そこまでも行かなくても、介護の現実は実際、シビアなことだらけかもしれません。
介護マンガを描く時の私の役目は、どんなに悲惨な現実を描いたとしても、本当に米粒くらいでもいいから、何かしらの希望を最後に描くことです。介護にゴールというものがあるとすれば、それは「死」かもしれませんが、それでも北川なつというマンガ家としては、投げっぱなしで悲惨なだけでは終わらせない、ちゃんとどこかに救いを残しておきたいという思いで描いています。
そしてもう一点、説教臭い理想論を描かないことも大切にしています。介護現場はとにかく忙しい。そんな時に「その人の尊厳を守ってちゃんと寄り添ってね」みたいなことばかり描かれても、「そんなことはわかっているけどできないんだよ!」と悲鳴が聞こえてきそうです。そんなマンガは読者の心には響かない。寄り添わなかった結果どうなったか、寄り添った結果こうなったよ、とか、寄り添っても寄り添わなくても結果が同じだったね、みたいな。答えのない介護の世界で、読み手側が感じたり、考えたりする余地をなるべく作るように心がけています。
依頼者側の意向に沿いつつも、先にお話したように、この2つのスタンスは専門職向けのマンガでも介護している家族向けのマンガでも、無縁な人達に対しても変わらないですね。