福井 謙さん
モミの木クリニック院長
グラフィック・メディスンの観点から興味深い活動をされている方を紹介する「GMな人びと」。今回ご紹介するのは、福島県郡山市でモミの木クリニック院長として、地域医療を支える福井謙さんです。福井さんが取り組む、医師と患者のコミュニケーションをわかりやすくする「患者を笑わせるマンガ」とは?
- 簡単に自己紹介をお願いします。普段はどんなお仕事をなさっているのでしょう?
- 現在は福島県郡山市でモミの木クリニックの院長として、地域医療に携わっています。毎日の仕事のルーティーンとしては、まず午前中は一般外来をやっていて、もうそれこそ小児から老人まで、男女問わず幅広く受けています。13時半から16時までは患者さんのお宅に伺う訪問診療の時間です。16時から18時までは再びクリニックでの外来に戻ります。
母方が代々医者の家系でそれを継げという形でスタートしたのですが、学びを積んでいくうちに徐々に医療の魅力を知り、本格的に医者の道を目指すことになっていきました。地域の医師会では、地元に在宅医療を広める活動をしています。在宅医療での学びの場で、マンガを活用する試みも行っています。
モミの木クリニックHP - どうして臨床現場にマンガを活用しようと思われたのでしょうか?
- 小学生の時から人を笑わせる落書きみたいなのを描くのが好きだったんですよ。へたくそなんだけど、人を笑わせる絵。よくいますよね?授業中に友達のノートに勝手にイラスト描くやつ。それこそウ〇コとかの絵です。思い返せば、それを小中高大学とずっと続けていたんです。その延長線で、自然に診療上でもマンガで説明したりするようになっていました。何かきっかけがあってというより、もともと絵を描くことで人を笑わせたりするのが好きだった。それを自然と診療の中でやってみたら、目の前の患者さんが笑ってくれたんですよ。
- 最初に医療とマンガを結び付けたのはどのようなものだったのでしょうか?
- 臨床現場でマンガを使うという最初の経験は、地域医療を学ぶ研修プログラムに参加していた久瀬診療所での経験がスタートになっています。
- この『ひろむさんとちえこさん』は、まず、この経験を岐阜県の研修医達の集まりの勉強会で話したのがはじまりです。研修会で評判が良かったので、ひろむさんとちえこさんとその家族のためにマンガにアレンジしてお見せしたら、面白いと泣いて笑ってくれたんです。患者さんを笑わせるというのはすごく大事な要素だと思っています。笑わせるということは、相手の緊張感をほぐしたり、コミュニケーションを円滑にさせます。それが一部で話題になり、周囲の医師にもマンガを使った報告が面白いねという話になっていきました。
この経験から、臨床現場の中でマンガを使うようになったんです。僕の絵はご覧の通りノートの落書きですが、ただ、「下手であること=笑わせる」ということではないだろうと思っています。似顔絵ってどうして笑えるかというと、その人の特徴をなんとなく捉えてるから面白いんです。それこそ、久瀬の現場で、僕は気ままではありますが本当に細かいことまで様子を観察しました。特徴を掴むということは患者の話をよく聴くことであり、患者を観察することでもあり、患者を理解することでもあるのだと思っています。 - 福井さんのマンガで告知をテーマにしたものがありました。あれはどんなシチュエーションで描かれたのですか?
- ある多職種連携の勉強会がありまして、その時のテーマが「退院支援における告知」でした。そこで告知について考える事例シナリオとして出したのがこのマンガでした。他の参加者からはさまざまな問題提起や事例紹介がありましたが、僕はマンガで提案したんです。いきなり僕だけマンガで、「ウケをとる」みたいなことやりだしたので、出席者の一人から「ズルいっ」「お前だけ、なんかこんなことやりやがって」というようなことを言われました。これは決して文句ではなく、他の医師の用意した事例紹介がかすんでしまったことによるお褒めの言葉でした。実際に、参加者の興味を引いて、皆が意見を言ったり考えたりする仕掛けとして成果をあげたと思います。医師の勉強会の事例紹介としてよくある、症例解説や患者背景が文字だけで記録されているものより、臨場感があり患者の気持ちがよく伝わるという意見が大半でした。ワークショップのアイスブレイクとしても非常によく働き、その後の会話がスムーズに運びました。
- これを描くために患者家族にインタビューをされたりしたのですか?
- はい。色々と話を伺いました。患者家族は、結局切々とその時の様子を涙ぐみながら話すわけです。
信じられないですよね、そんないきなり告知をするなんて……。
親をなんか全然患者扱いしてくれないんです。もう治らないって……。このようにとにかく切々と語ってくれました。私が直接見たわけではありませんので、想像で描いたわけですが、ああいう情景だったのだろうと思うんです。これを描いた時、どちらかというと、僕は医者寄りではなく、患者側の感情に寄って描いていました。実際にそういう内容になっています。おそらく、「絵にする」「マンガにする」という行為で、患者に寄れたということが言えると思います。
マンガを描くことによって見えたものが確実にあります。私の中では、患者家族の話を聴き、それを絵に起こす行為には大いに意味がありました。絵にするという行為を通して、患者の背景を理解することができました。患者さんの家族はそれぞれが個別の思いを抱えていることもあります。医者に「待合室」のところで、立ち話で「治療法はない」という説明をされた……ここには、この患者さんと家族が味わった辛さが含まれています。しかし、言葉だけだと、患者さんが味わった辛かったという感情的なものが欠如する気がするんです。それを絵にすることで表わしたいというのが僕の中にあります。
- 医師にとってマンガは必要だと思いますか?
- ドクターの診断のプロセスや理論には、マンガは要らないのかもしれません。典型的な医者からすると、僕のマンガも無駄に思えるのかもしれません。最近、家庭医療の専門医の集まりですが、開業の苦労話をしてくれということになり、そこでもマンガを使って発表したんです。その場は、どちらかと言えばいわゆるお堅い専門医たちの集まりで、あまりマンガという雰囲気でもないようなところでした。そのギャップが良かったのか、意外と笑いがとれて、あるひとりの教授にお褒めいただいたんです。そこで、自分がやっていることに少し自信がつきました。知識でガッツリと合理的に考えるタイプの若い医師などには、何それって感じで鼻で笑われるようなこともありますが、こういう遊びを受け入れる心の余裕も医師には欲しいとも思います。
患者を笑顔にするためには、合理性だけでは患者との関係を築けない部分があるはずです。コロナ時代になり、エビデンス以外の部分が必要になってきています。もっと余裕をもって患者と話したいとか、医師と患者の信頼感をもっと強めていきたいとかいう必要性は高まっています。傾聴などのコミュニケーションスキルも必要です。ただ、そういったスキルに還元されるものではない、気持ちへ寄りそうコミュニケーションが凄く大事になってくるような気がします。
福井さんが研修プログラムに参加した久瀬診療所は岐阜県揖斐郡揖斐川町にある。久瀬地区は少子高齢化の影響で過疎化が進み、高齢化率が50%を超えるいわゆる限界集落だ。そこでのへき地医療を学んだ際に、自身の経験をまとめたのが『まんが久瀬ばなし~ひろむさんとちえこさん~』である。
崖っぷちにある少し地盤沈下した古い家屋に二人暮らしの老夫婦。ひろむさん(上半身に刺青あり)は糖尿病と脳梗塞があり、脳出血で寝たきりになっている。要介護5=寝たきりでコミュニケーション不全と診断されている。ひろむさんを介護するちえこさんは原爆被害者で、自身も胃・十二指腸潰瘍と高血圧症を抱えている。
そこへ臨床研修にやってきた福井さんが、現場を観察し学んでいく。福井さんの指導医である吉村先生が、パチンコをやりたいというひろむさんの希望を叶えようと決意。周囲の協力の下、山の中へパチンコ台を運ぶ。寝たきりだったひろむさんが起き上がりパチンコ台で遊ぶ姿をみて、福井さんは医師としての大きな気づきを得ることになる。
最後に(聞き手:落合隆志)
グラフィック・メディスン・マニフェストの中で、著者のひとりMK・サーウィックは作家でイラストレーターのサラ・リーヴァットの次の言葉を引用しています。
「人びとが絵を描けないというときの本当の意味は、何かを前に座って本物のようにそれを描けないということです……。私は実は良い絵とは感情を表現しているものだと思っています。人びとが見て、何をいいたいのか理解でき、そして感動するものです。」
福井さんは、グラフィック・メディスンの活動を一切知らずに、自分自身で臨床現場での活用をはじめました。グラフィック・メディスン協会の活動を知った時に、自分と同じようなことをしている人がいたんだと嬉しくなったそうです。
欧米においてグラフィック・メディスンは医療者教育でも使われており、マンガにすることによって、患者の理解が進んだり、医療者自身が変わったりもします。福井さんの活動は、まさに日本のグラフィック・メディスンの臨床応用の実例であると言えるでしょう。海外のグラフィック・メディスンの集まりでは、必ずマンガを描くワークショップが開催されます。日本でも、是非、福井さんを講師に招いてワークショップを開催出来たらいいなと思っています。
私が好きな福井さんの絵に権威主義的なドクター、上から目線のドクターを描いた絵があります。これはドクターを怖いと感じている患者が心の中で見ているドクター像だと思いませんか?
<参考文献>
MK・サーウィック、イアン・ウィリアムズ、スーザン・メリル・スクワイヤー、マイケル・J・グリーン、キンバリー・R・マイヤーズ、スコット・T・スミス『グラフィック・メディスン・マニフェスト マンガで医療が変わる』小森康永、平沢慎也、安達映子、奥野光、岸本寛史、高木萌訳(北大路書房、2019年)。