北川なつさん
マンガ家、イラストレーター、絵本作家
文・構成:落合隆志
- 北川さんの作品では、短いエピソードの中でも登場人物の人物像や生きてきた歴史が浮かび上がるような感じがします。こういったエピソードはどこから生まれるのでしょうか?
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自分の体験や知識だけでなく、取材をすることもあります。またネットなどで、マンガにしてもっと多くの人に伝えられたらいいなと思うエピソードに出会うこともあります。ネット上で見つけたエピソードでも、直接連絡をとって許可をいただいたり、文章だけではわからなかった詳細などを質問したり、資料写真などもいただいたりします。そうしてよりリアルになるように、エピソード提供者の思いと乖離(かいり)しないように努めています。
依頼される介護のマンガは、コマ漫画やショートマンガ、長くても20ページ程度が多いです。もし僕が長期連載タイプのマンガを描くとしたら、まずキャラクター全員の人生年表のようなものを作成して、生い立ち、通った学校、仕事、好き嫌い、周囲の出来事、生きた時代・風俗まで、全部きっちり作ると思います。
ちなみに、介護現場では、「センター方式」と呼ばれる利用者さんのあらゆる情報がぎっしり詰まったシートを共有して、ケアに役立てているところもあります。その中には、真ん中に介護職自身が利用者さんの全身の絵を描いて、周りにその人の思いや願いを書くシートもあります。
マンガも介護現場も全然違う仕事ですが、その人を深く知ることが大切という意味では、共通する部分もありますね(笑)。 - 北川さんはご家族から直接依頼を受けたオリジナルのマンガ制作も行われています。第三者として他人の人生を描く際に気を付けていることはありますか?
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まずは、介護されている人と介護している人がいる場所、暮らしている空気感を直接、肌で感じたいので、その場所にうかがいます。その場所でお話をうかがうだけでなく、作画資料のために写真をできるだけたくさん撮らせてもらいます。介護されている方が、いつ何があってもおかしくない場合も多いので、できるだけ早い時期にうかがいます。取材の翌日に旅立たれたということもありました。
介護している家族への想いや思い出は、本当はその人の中にしかないと思います。おそらく血を分けた兄弟姉妹でも、違う部分が多々あると思います。ですから、依頼されたご本人がストーリーを作って、マンガも描くことができれば当然ベストです。
第三者として他者の想いや思い出をマンガにする時、無理は承知ですが、なるべく本人の気持ちに近づけるように、依頼者が読んでがっかりしないように、イメージと乖離しないように心を砕きます。ですから、依頼者や介護されている人など、登場人物のことにできるだけ忠実にというのは当然ですが、例えば昭和30年代に幼少期を過ごした娘さんとお父さんのお話であれば、その時代の風景、その場所にあったものを想像に頼らずに描きます。 - 北川さんが感じているマンガの力とはどんなものでしょう?
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介護は人生において絶対切り離せないものです。自分が介護されないとしても、誰かの介護をしたり、身近に介護されている人がいたり。でも皆、元気なうち、身近にいないうちはフタをしちゃう、見ないようにしちゃう。
① 医療介護の場面の生々しさを軽くする力がある
例えば、ウンコ。写真だとなかなか厳しいですが、マンガだとどこかコミカルな気がしませんか。絵本でもウンコはよく登場しますよね。子供大好きですから。
実写で便まみれの人を描くと、状況を理解する前にひいてしまう人が多いかもしれませんが、かわいいタッチの人物に、とぐろを巻いたウンコのキャラクターがくっついていたら、ハードルが下がって読みやすくなるのではと思います。② 言葉ではわかりにくいものを目で見える形にできる
例えば、認知症と診断されている人で、見た目はお婆さんだけれど、中身は子育てに奮闘していた若い頃に戻っているとします。マンガなら容易に、その女性だけを若く描き、けれど舞台は介護施設で、介護職が対応しているという違和感を一目瞭然で描くことができます。③ 介護の疑似体験ができる
介護の場面では、マニュアル通りにいかないことだらけですが、マンガで「こういう環境にいる、この人の場合」という1例で表現すると、読者で介護経験者なら、うちはちょっと違うけど似ているところもあるなぁと参考にすることもできます。介護の成功も失敗も大切な宝物だと思うのですが、それを人から人へ見える形で伝えることができます。
核家族化が進んで、人の老病死をなかなか身近に体験できない時代です。今は介護とは無縁な人も、自分や家族の老いや認知症などの介護を疑似体験することで準備ができ、いざという時の対応も違ってくるのではないでしょうか。介護という重いテーマの入門編というか、とっかかりになる力がマンガにはあると思います。 - 『親のパンツに名前を書くとき』は北川さんご自身とお母様の体験を回想録的にまとめられた作品です。どんな思いで描かれたのでしょう?
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母の死に対してすごく後悔があります。
どんな亡くなり方でも何かしらの後悔は残ると思うのですが、母の死は突然で、丸一日発見されないままでした。「もう冷たくなっている。」という知らせを電話で聞いた時も、「それじゃあ仕方がないね。」と、どこか冷静だった自分にも嫌悪感を抱いた記憶があります。
母のことを描く際には、晩年のことだけではなく、自分が物心つく前のことも描きたいと思いました。姉や叔母に僕の記憶にないことを聞いて色々わかったこともありました。姉しか知らなかった事実や、姉から見た母への思いも、私とはまた違うのだろうなと考えることもできました。マンガにしようと調べたり訊いたり描いたりしている過程自体に、すごく大きな意味があったと思います。親は母だけで、そんな母の死なので、もっと深い悲しみに暮れるかと思っていましたが、供養のつもりで描いたマンガのおかげなのか、晩年の母への対応や突然の別れのことが整理できて、気持ちを保てた気がします。考えてみれば、結局僕は自分や自分の大切な人達のためにマンガを描いているのかもしれません。もし何十年後か、僕が介護が必要な状況になった時に、僕のマンガを家族が読んでくれたとします。もううまく話せなくなっている僕について、こんな色々なことを考えていた人なんだな、母親のこととか、他の家族のこととか、介護のこと、認知症のこともこんな風に考えていた人なんだと。子供である自分たちが生まれた時は、こんな思いだったんだなとか。だからちゃんと介護せなあかんかなとか、思ってくれるかも?しれません。
そして自分のために描いているかもしれませんが、ひいては「皆そうなんだよ。今の姿だけ見ないでね。」ということを伝えられていたらいいなと思います。
これは『親のパンツに名前を書くとき』に限らず、私の描く全てのマンガに共通していることかもしれません。
北川さんは、最近、認知症の当事者を支援する小冊子を作成・販売しています。
購入やお問い合わせは北川さんが運営する「ぺこなつ堂」までご連絡ください。
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