日本の医療マンガ50年史
医療マンガレビュー

ワスプ

病気と認識されづらい双極性障害をリアルに描いたガールズ・ヒーローコミック

ワスプ
キーワード
うつうつ病双極性障害
作者
ライター:ジェレミー・ウィットレー
アーティスト:グリヒル、アルティ・ファーマンシャ
訳:ャスダ・シゲル、御代しおり
作品
『ワスプ』
単行本
『ワスプ』(ヴィレッジブックス、全2巻、2020-2021年)

作品概要

 天才科学者で初代「アントマン」となったハンク・ピムの娘で、新しい「ワスプ」に認められたナディア・ヴァン・ダインと、彼女が結成した天才少女たちの研究機関「G.I.R.L」のメンバーたちが、科学を悪用する悪の秘密結社「A.I.M.」に立ち向かうガールズ・ヒーローコミックである。作画を日本人アーティストのグリヒルが担当し、多様な人種の理系少女たちが、身体的・精神的障害やセクシャリティ、出自などに向き合いながら科学の力で悪の組織と戦う、さまざまなマイノリティをエンパワメントする作品になっている。

「医療マンガ」としての観点

 主人公のナディアは、躁うつ状態を繰り返す双極性障害という心の病を抱えている。物語の中盤、A.I.M.に襲撃されて多くの仲間が傷つくのを目の当たりにしたナディアは、一人ですべての問題を解決しようと不眠不休で働き始める。仲間たちが彼女を心配して休息をとるように促しても、邪魔をするなと攻撃してしまう。そんなナディアにメンバーたちは愛想をつかす。一方、ナディアは親友たちに手をあげてしまったことにショックを受け、自分なんか存在しなければいいと思い詰める。心配した仲間の一人が彼女を追いかけ話し合うことでナディアは救われるのだが、これらのパートはまさしく躁うつ状態のそれぞれの症状とそのせいで生じる周囲との軋轢を如実に描いている。
 うつを描いたマンガはたくさん存在しているが、双極性障害をテーマにした作品はあまりないように思う。うつ病に比べて患者数も少なく、前向きで行動的になる躁状態は患者本人も病気と認識しづらい。しかしこの作品で描かれるように、周囲の人間との関係を壊し、躁状態での自分の行動からより深刻なうつになる危険性もはらんでいる。ナディアはその後、適切なカウンセリングと治療を受けながら、仲間とともにA.I.M.の計画を打ち砕くことに成功する。
 『ワスプ』の素晴らしい点は、脚本のジェレミー・ウィットレーが専門家へのヒアリングをもとにシナリオを完成させたことはもちろん、巻末に女性理系研究者のインタビュー記事を掲載していることだ。その中で心理学を専門とする研究者が、作中のナディアの症状や双極性障害の治療法などについて専門家としての知見を述べている。加えて、メンタルヘルスに負荷をかける行為が美徳とされるヒーローの描き方や、精神的な病が悪役の動機づけに使われることなど、コミックと心理学の固定観念に対する懸念を表明している。読者としてもこうした視点は決して忘れてはならないと思う。

【執筆者プロフィール】

森﨑 雅世(もりさき まさよ)
フランス語圏のマンガ「バンド・デシネ」やグラフィックノベルなど、海外コミックスが読める古民家カフェ「書肆喫茶mori」の店主。SNSやYoutubeで海外マンガ関連情報を発信しています。書肆喫茶moriのHP

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