日本の医療マンガ50年史
医療マンガレビュー

ウツパン―消えてしまいたくて、たまらない

希死念慮を乗り越えたその先に、生きていることのありがたみを浮かび上がらせる
グラフィック・メディスンの実践

ウツパン―消えてしまいたくて、たまらない
キーワード
うつ病希死念慮
作者
有賀
作品
『ウツパン―消えてしまいたくて、たまらない』
初出
『くらげバンチ』(2023 年6月~9月の内容に描き下ろしを追加)
単行本
『ウツパン――消えてしまいたくて、たまらない』(新潮社、2023 年)

※「初出」は単行本のクレジットに基づいています。

作品概要

 作者の希死念慮にまつわる実体験をエッセイマンガで表現した作品である。大学生時代に「死にたい」と思い、実際に自殺未遂を起こすに至るまでの心の揺れ動きが描き込まれている。遡って「自殺企図」(実際に自殺行動を起こすこと)を最初に思い立った小学生時代からの半生が回想形式で綴られる。
 「くらげバンチ」ウェブ上で発表されている「番外編 チラ裏話」では、それまでストーリーマンガを軸に作家活動を展開しており、自身の人生を「商品としてパッケージ化」したエッセイマンガが評価の対象となることへの不安も率直に吐露されている。やがて、エッセイマンガの人格と自分自身を切り分けて考えられるようになったことにより、本作の構想に至ったという。また、単行本「あとがき」では、「漫画を読んで救われた経験」として、水谷緑『精神科ナースになったわけ』(イースト・プレス、2017)、『こころのナース夜野さん』(小学館、2020-22)に対する直接の言及がなされている。本作にもまた、誰かにとっての「知識や気持ちの助けになれていたら」という想いが込められており、単行本の冒頭においても「自殺予防、自殺への理解が深まること」を目的とする旨が記されている。自殺企図をめぐる迫真性ある描写を軸にしながらも入念な配慮が随所に施され、巻末には臨床心理学者、末木新氏による解説も付されている。

「医療マンガ」としての観点

 写実的な背景描写とは対照的に、パンダのような自画像(うつのパンダ=「うつパンダ」)が抽象的な筆致で描かれている点に特色があり、不安定な心理を巧みに表現しつつ、どことなくユーモラスな雰囲気をもたらす効果をあげている。学校の集団生活になじめなかった子ども時代や、「キラキラした」大学生活への憧れとのギャップに苦しんだ繊細な気持ちを丁寧に振り返りながら、マンガを通して「死にたい気持ち」を抱えていた自分と共に生きる現在を肯定するという点において、グラフィック・メディスンの実践にもなっている。
 孤独や辛い気持ちを周囲に共有しにくい現代の大学生の気質からも、「助けて」という気持ちは誰にも伝えにくいものであろうし、肝心のサポートセンターも切実に支援を求めている最中はたどり着くこと自体が困難となりうる。大学生が抱える孤独やうつ病に対し、どのような支援を提供できるかを考える上でも、本書は多くの示唆をもたらしてくれるものであろう。
 現在は「全員疎遠」になっているとしても、作者をさりげなく助けてくれた友人たちの存在は、寄り添ってくれた周囲の人たちのありがたみを実感させてくれるものでもある。何気ない言葉で深く傷つくこともあれば、何気ない優しさが生きる糧となることもある。辛いときに孤独のまま捨て置かれるのではなく、誰かがただ寄り添ってくれることが心の支えになることを示してくれている。希死念慮と表裏一体の精神的苦闘を繊細に描いたこの作品自体が、誰かの心に寄り添い、手助けとなる可能性を秘めている。

【執筆者プロフィール】

中垣 恒太郎(なかがき こうたろう)
専修大学文学部英語英米文学科教授。アメリカ文学・比較メディア文化研究専攻。日本グラフィック・メディスン協会、日本マンガ学会海外マンガ交流部会、女性MANGA研究プロジェクトなどに参加。文学的想像力の応用可能性の観点から「医療マンガ」、「グラフィック・メモワール」に関心を寄せています。

グラフィック・メディスン創刊準備号