日本の医療マンガ50年史
医療マンガレビュー

ツレがうつになりまして。

患者と家族の両方の視点からうつ病を描いた医療系エッセイマンガの先がけ

ツレがうつになりまして。
キーワード
うつ病ストレスなまけ病自殺念慮過労
作者
細川貂々
作品
『ツレがうつになりまして。』
初出
単行本に初出情報記載なし
単行本
『ツレがうつになりまして。』(幻冬舎、全1巻、2006年)

※「初出」は単行本のクレジットに基づいています。

作品概要

 「ツレ」こと、本書の作者であるマンガ家細川貂々の夫は、外資系IT企業でバリバリ働くサラリーマン。あるとき、彼の会社で大規模なリストラが行われる。幸いツレはリストラの対象外となり、逆に給料が上がるが、その日を境に仕事は忙しくなるばかり。帰宅してもぬけがらのように過ごす日々が続く。半年経った冬のある日の朝、ツレが突然、真顔で「死にたい」とつぶやき、作者を驚かす。病院の診断結果はうつ病だった。
 うつ病と診断されたにもかかわらず、ツレは薬を飲みながら会社勤めを続ける。以前のような日常を送れないことに苛立ち、服薬量を間違え体調を崩すなどした結果、妻である作者の助言もあり、ツレは会社を辞める決断をする。しかし、彼が実際に会社を辞めることができたのは、それからおよそ1カ月後経った2004年2月27日ことだった。
 仕事を辞めると、ツレと作者がいよいよ本格的にうつ病と向き合う日々が始まる。自分は怠けているだけではないのか、何の役にも立たないのではないのか、申しわけない、死んだほうがいいという意識に苛まれるツレに対し、作者はむしろダラダラ過ごし、ありのままの自分を受け入れ、楽しいことだけ考えるように提案する。
 もちろんすぐに効果が現れるわけではない。回復したかと思えば悪くなるの繰り返しで、ふたりはやきもきするが、それでも、春が過ぎ、夏が訪れ、季節が巡るたびにツレの状態はよくなっていく。
 会社を辞めて1年が経った頃、ツレはかつて昼休みによくお弁当を食べていた新宿御苑のベンチを作者と一緒に訪れる。ツレの顔には、1年前とはまったく異なる清々しい表情が浮かんでいるのだった。
 「ツレうつ」と略される大ヒットシリーズの記念すべき第1作目である本書『ツレがうつになりまして。』は、ここに紹介したように、うつ病と診断されたツレこと作者の夫が、2004年2月27日に会社を辞め、それから約1年にわたって、作者と二人三脚でうつ病と向き合う様子を描いた作品である。

「医療マンガ」としての観点

 ツレがうつ病だと診断されてから一年半ほど経ったある日、うつ病の特集番組がテレビで放映されると、作者はこんな番組を見ても何の参考にもならないとこぼす。「だってうつ病って誰でもなる病気だって教えてくれなかったし」、「うつ病患者の家族はどういう対応をしたらいいのかも教えてくれないし」(『その後のツレがうつになりまして。』)。
 思わずはっとした作者は、自分たちの体験をマンガにすることを思いつき、こうして本書が誕生することになるのだが、この回想からも、その当時(2005年頃)、うつ病をテーマにしたエッセイマンガや、さらに言えば、医療をテーマにした当事者によるエッセイマンガが少なかったことがうかがえる。本書は今や非常に多く出版されている医療系エッセイマンガの先がけのひとつと位置づけられる作品だろう。
 さまざまな出版社に企画を持ち込んでは断られた挙句、本書は最終的に幻冬舎から出版される。企画を持ち込んだ際の編集者の言葉が、本書のその当時の意義を端的に説明している。「家族と患者との両側から書いていくわけですね」、「そーゆーの今までなかったかも」。
 本書は何よりもまず、うつ病をめぐる実用書である。うつ病がどう発症するのか、症状はどのようなものなのか、うつ病になると何ができなくなるのか、家族はどうサポートするべきなのか……。うつ病をめぐるあれやこれやが、作者たち夫婦の体験に基づいて綴られていく。マンガならではの具体的でわかりやすい描写は、うつ病患者はもちろん、その家族やまだ自覚のない当事者、さらにはうつ病を他人事だと思っている読者にとっても、このわかりにくい病気を理解する上で大いに参考になることだろう。
 本書の特筆すべき特徴は、そのトーンの明るさにある。何かにつけネガティブにとらえるツレを、作者は過度に感情的になることなく、努めてポジティブにふるまい、独特のユーモアで時にからかったりしながら、優しく見守る。
 うつ病患者をサポートする作者の苦労が、実際には極めて大変だったことは想像にかたくない。関連作品の『イグアナの嫁』によれば、彼女のポジティブなふるまいそのものが、実はツレがうつ病だと診断された後に、彼女の努力によって獲得されたものなのだそうだ。『ツレがうつになりまして。』が医療マンガだとすれば、『イグアナの嫁』はふたりがペットとして飼うイグアナの「イグ」に焦点を当てながらも、作者細川貂々の人物に迫った優れた自伝マンガである。
 続編の『その後のツレがうつになりまして。』(2007年)と『7年目のツレがうつになりまして。』(2011年)では、その後のふたりの暮らしと、『ツレがうつになりまして。』を出版したことでふたりの人生がどう変わったかが描かれる。2009年にはテレビドラマ化され、2011年には映画化されたが、その経緯は『7年目のツレがうつになりまして。』に詳しい。うつ病は長く付き合う必要がある病気だが、足掛け5年に及んだ本シリーズが、そのことを体現している。うつ病に苦しみ、それを乗り越えた患者とその家族のこの貴重な体験談は、今うつ病に苦しんでいる当事者たちにとってきっと希望となることだろう。

※関連作品、続編に『イグアナの嫁』(幻冬舎、2006年)、『その後のツレがうつになりまして。』(幻冬舎、全1巻、2007年)、『7年目のツレがうつになりまして。』(幻冬舎、全1巻、2011年)がある。

【執筆者プロフィール】

原 正人(はら まさと)
1974年静岡県生まれ。フランス語圏のマンガ“バンド・デシネ”を精力的に翻訳紹介する翻訳家。フレデリック・ペータース『青い薬』(青土社)、ダヴィッド・プリュドム『レベティコ―雑草の歌』(サウザンブックス社)など訳書多数。監修に『はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド』(玄光社)がある。

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