少年マンガの王道にして、医療マンガの極北
- キーワード
- 外科医少年マンガ
- 作者
- 真船 一雄
- 作品
- 『スーパードクターK』
- 初出
- 『週刊少年マガジン』(講談社、1988年第17号-1996年第42号)
- 単行本
- 『スーパードクターK』(週刊少年マガジンコミックス、講談社、全44巻、1988-1996年)
作品概要
主人公のKAZUYA(西城 カズヤ)は、先祖代々超一流の医療により、その時代を影から支えてきた一族の末裔で、その超人的な身体能力に支えられた超人的な速さと正確さをもった医術によって、不可能と思われる処置を次々と成功させる。世界のアカデミアからもその名を知られながらも、特定の医療機関には所属せず、その医術を必要とする者のところへ姿を現す。連載期間は10年を超え、続編『K2』も2004年から連載中である。臓器移植・臓器売買や人工臓器、クローン技術、など当時の話題を盛り込みながら、主人公KAZUYAの正義感を描き切った。
医療マンガとしての観点
『スーパードクター・K』は、勧善懲悪型のアクション・ヒューマン・ドラマであり、その作品の様式によって、医療マンガというジャンル形成に関する重要な示唆を与えてくれる作品でもある。
医師というキャラクターは、医療マンガにおいて、その最初期から重要な存在であり、同時に、その医師の「全能性・万能性」は中心的なテーマである。医師はその医術によって人間の死を回避し、不可能を可能にするという意味で、医師が人間でありながら人間を超えた神のような存在として捉えられることは、現実世界においても決して珍しいことではないだろう。
しかし、医師が主人公の医療マンガは、多くの場合、医師を万能な主人公を英雄的に描きはしない。むしろ、現実世界で医師につきまとう神話化の作用をシニカルな視線で俯瞰して、医師の存在を相対化する。神でもなく、単なる専門家や説明者としてでもなく、1人の人間として描くのである。
本作は、ジャンルの特徴である万能感とリアリティを、ジャンルの傾向とはあえて逆方向に最大限に活用したエンターテイメント巨編であり、医療マンガの極北ともいえる作品である。
主人公KAZUYAの神がかった存在感は、第一巻の冒頭、爆発事故の現場でコンクリート壁の残骸を背に受け止めて患者を護る場面に端的に描かれている。その姿は、後光が差し、バランスのとれた体躯は、さながらギリシャ神話に登場する半人半神の英雄ヘラクレスやアトラス神を連想させる。ただし、この作品では、医師KAZUYAの人間としての悲哀は、個人としての苦悶よりは、「医者とは人間の命を救うためにのみ存在する」という一族の宿命ともいうべき家訓に集約され、個人の内面は捨象される。両親がそれぞれKAZUYAの命を守るために死に至るというエピソードも、いわば英雄叙事詩(のパロディ)のごとく語られている。KAZUYAは、作中で胃癌を患うが、親友・高品の執刀により見事に回復するので、主人公の病というエピソードも、弱さよりは、むしろKAZUYAの全能性の神話を強固にし、高品の成長や2人の友情を称える装置にすぎない。
一方、作者は、医療マンガとしてのリアリズムのアンバランスを十分理解しているようで、その自意識を反映するかのように、パロディやメタ・フィクション的な書き込みを通じて、この作品独特のやり方で、現実世界との距離感を保っている。作中では、他のマンガ作品への意図的な言及がちりばめられている。黒マントで放浪するKAZUYAは、あきらかに『ブラック・ジャック』へのオマージュであろう。第1巻で描かれる兄弟による皮膚・臓器移植のエピソードも、同作主人公ブラック・ジャックの二色の皮膚を想起させる。また一方では、『北斗の拳』のパロディともとれるエピソードが豊富に盛り込まれ、KAZUYAの身体的特徴や顔の造形などはケンシロウに酷似しているし、父・一堡(かずおき)との死別の場となった核シェルターのエピソードでは、一堡の姿は『北斗の拳』のトキと重なる。また、本作品と同時期の『週刊少年マガジン』に掲載されていた『はじめの一歩』や作者の森川ジョージへの言及があり、『ミスター味っ子』のキャラクターもコマ内に登場する。
『Doctor K』では、突如としてKAZUYAは高校の校医となり、話は学園青春スポーツものになる。学園ドラマへの転向という一見すると迷走に見える結末も、(作者は巻末エッセイで、ネタ切れだったと告白するが、)全能感とリアリティという相矛盾したジャンル特性を保ちながら、KAZUYAの医師としての正義感というテーマを追求しつづけるためには、全マンガ・ジャンルを包摂する場所として、学校という舞台に行き着いたのかもしれない。少年誌で連載される医療マンガとして作品の世界観を透徹した本作品が迎える必然の結果だったのだろう。