心肺停止状態からの回復を生々しく描く「生き直し」エッセイ
- キーワード
- 糖尿病糖尿病性ケトアシドーシス糖尿病性合併症糖尿病性腎不全脳浮腫
- 作者
- 村上竹尾
- 作品
- 『死んで生き返りましたれぽ』
- 初出
- 「pixiv」(2013年12月~2014年7月にかけて投稿したものを元に、書籍化にあたり加筆修正)
- 単行本
- 『死んで生き返りましたれぽ』(双葉社、全1巻、2014年、その他Kindle版あり)
※「初出」は単行本のクレジットに基づいています。
作品概要
ある日「わたし」はトイレで倒れ、そのまま2週間意識が戻らず気付いたら病院のベッドにいた。一時は心肺停止状態に陥ったという。目覚めた「わたし」は自分が何者であるか、ここが現実か夢かも分からず、話すこともできない状態で、漠然と死を予感していた。
仕事のストレスと体調不良で自暴自棄な思考に囚われていた著者は、スポーツドリンクのみ摂取する不規則な生活を送っていた。ついには限界を迎え、糖尿病と重篤な合併症により昏倒。緊急入院し一命は取り留めたが、敗血症、肺炎、急性腎不全などいくつもの重症疾患を併発し、更には脳浮腫によって昏睡状態に陥ってしまう。一時は医療スタッフも家族も死を意識したが……。
絶望的な状況から、のちに病院スタッフに「奇跡の人」と呼ばれるまでに回復を遂げた著者が、周囲の人々や自身との対話の中で、徐々に生きる力を取り戻していく過程をつぶさに描く。
続編に、リハビリ期間や退院後の後遺症との闘いを記した『生き返っても、あの世』(幻冬舎、2016年)がある。
「医療マンガ」としての観点
世にエッセイマンガは数あれ、本作品ほど徹底して主観を描いたものはないだろう。著者は重篤な疾患により、意識や言語が混濁し、また脳浮腫によって視覚や精神にも異常が現れていた。その時どう見えていて、どう感じていたのか、そのありようが作中では「著者の目」を通して生々しく語られる。具体的に言うと、主人公である著者の姿は、終盤までほとんど目と口しか描かれない(体や輪郭は描かれない)。一方で、医師や家族など、周囲の人々の姿はその時々の著者の病状により変化する。つまり、感覚や自我が不安定で体を動かすことも困難な「わたし」自身と、その「わたし」から見た不安定な世界が、主観のままに描かれているのである。これはマンガだからこそできる表現だが、ゆえに、病状が回復したときの「人の表情まではっきりと理解できるようになる」瞬間の描写は鮮やかで、感動とともに鮮烈な印象を残す。
病が自身の生き方を考えるきっかけとなる―というのは陳腐な表現だが、心肺停止状態となり言葉の通り一度“死んだ”著者は、まさしく生き直すことになった。自分を取り戻すことから始まる「人生のやり直し」は非常に過酷なものだが、私たち読者は著者の目を通して、その先に生きることの希望を見出すことができるだろう。
※続編に『生き返っても、あの世』(幻冬舎、2016年)がある。