日本の医療マンガ50年史
医療マンガレビュー

さよならタマちゃん

可愛らしく温もりのある筆致で癌患者の厳しい現実を描き出す闘病記兼ルポルタージュ

さよならタマちゃん
キーワード
シスプラチンペリリュー抗癌剤治療末梢神経障害精巣腫瘍転移
作者
武田一義
作品
『さよならタマちゃん』
初出
『イブニング』
(講談社、2012年15号-24号、2013年1号-15号、17号)
単行本
『さよならタマちゃん』
(講談社、イブニングKC、全1巻、2013年)

※「初出」は単行本のクレジットに基づいています。

作品概要

 作者は『ペリリュー 楽園のゲルニカ』で2017年に日本漫画家協会優秀賞を受賞し、ちばてつやから「可愛らしい温もりのある筆致ながら、『戦争』という底知れぬ恐ろしさと哀しさを深く表現して見事です」と賛辞を贈られた。その連載は2020年現在も続いている。ペリリュー島の日本軍兵士たちは昭和21年の暮れを迎えてもなお敗戦を知らず、終わりの見えない潜伏生活のなかで命を落とし続けている。この類例のない戦記マンガのルーツが、作者の実体験に基づくこのノンフィクション作品である。
 奥浩哉のアシスタントだった作者は35歳で精巣腫瘍と診断され、片方の睾丸を摘出した。しかし、癌が肺に転移していたため長期入院して抗癌剤治療を受けることになった。マンガにはその闘病生活が描かれている。
 タイトルにある「さよなら」の一語には喪失感とともに成長が含意されている。抗癌剤・シスプラチンの副作用で永続的な末梢神経障害の後遺症を患い、思いどおりの絵を描くことができなくなった作者は、痺れた手で懸命に新たな画風を模索し、獲得する。その後ろ姿に重ねられた「僕は生きている/何度でも/どこからでも/やり直せる」という独白は、読者の心を強く揺さぶる。作者が『ペリリュー』で明日をも知らぬ兵士たちが必死にもがきつづける姿を描くことができたのは、この苦闘の日々ゆえにほかなるまい。
 このマンガの第一話を雑誌に発表し、作者が念願だったマンガ家デビューを叶えたところで物語の本編は締めくくられる。病床のサイドテーブル上の筆記用具とノートが描かれた最終コマには、つぎの言葉が記されている。「35歳のこの年/思いもよらぬ病に見舞われた/そして出会った/人/感情のこと/この一年間のすべてを/僕は生涯忘れない」。

「医療マンガ」としての観点

 可愛らしい絵柄でユーモアを交えて描かれる分、作者が抑えきれない感情を爆発させるとき、その姿を目の当たりして抗癌剤治療に伴う計り知れない不安や苦痛を思い知らされる。
 病と闘う作者に安らぎと活力を与えるのは、妻や飼い犬との信頼関係であり、周囲の人々との繋がりである。医師、看護師、職場の「先生」と同僚たち。とりわけ入院生活で出会った個性豊かな面々がそれぞれのやり方で病気と向き合う様子が丁寧に描かれており、私的な闘病記にとどまらない優れたルポルタージュになっている。癌患者の厳しい現実を読みやすく伝える一冊であり、大切な誰かを抱きしめたくなる一冊である。

【執筆者プロフィール】

可児 洋介(かに ようすけ)
1980年佐賀県生まれ。マンガ研究者。中高一貫校で国語科講師として勤務する傍ら『マンガ研究』『ユリイカ』等に論文、論考を発表。文学作品論に「金史良「天馬」における身体表象」(『学習院大学人文科学論集』20号)「村上春樹「バースデイ・ガール」における語りの機能」(同21号)がある。