聴覚障がいをめぐるグラフィック・ドキュメンタリーの野心作
- キーワード
- ドキュメンタリー学習漫画耳鼻咽喉科聴覚障がい
- 作者
- 吉本浩二
- 作品
- 『淋しいのはアンタだけじゃない』
- 初出
- 『ビッグコミックスペリオール』(小学館、2016年第3号-2017年第19号)
- 単行本
- 『淋しいのはアンタだけじゃない』(小学館、ビックコミックス、全3巻、2016-2017年)
作品概要
本作は聴覚障がいをめぐり、医療の専門家、聴覚障がいの当事者などに取材をした成果をマンガで探求した試みである。もともとは「佐村河内守事件」と称される聴覚障がいの偽装疑いと代作をめぐる騒動に着想を得て、実際に佐村河内守氏本人にインタビューを試みる過程からはじまった企画であった。作者は『ブラック・ジャック創作秘話~手塚治虫の仕事場から』(原作:宮﨑克、2009-14年)や、『さんてつ〜日本鉄道旅行地図帳 三陸鉄道 大震災の記録』(2011-12年)など綿密な取材に基づくルポルタージュの手法ですでに高い評価を得ている。そうした先行作とも大きく異なるのは取材者である作者自身をも作中で描き込むドキュメンタリーの手法に自覚的であることであり、当初の取材対象者であった佐村河内氏との関係性も連載の過程で大きく変容していくことになる。連載と取材・製作が同時進行であったことからも、もともとの謎であった「佐村河内守事件」をめぐる聴覚障がいの偽装疑いに関しては、解明されないまま終わる。そうした、いわば、「中途半端」な締めくくりも含めて、マンガ表現による「グラフィック・ドキュメンタリー」の可能性を探る野心作となっている。当時、同様に佐村河内氏をめぐるドキュメンタリー映画を製作中であった森達也監督と取材時期が重なったことにより、別のドキュメンタリー制作者の射程に双方が映り込む構図になっていることも含めて、ドキュメンタリーとは何かを考えさせる作品である。
「医療マンガ」としての観点
聴覚障害、難聴、耳が聴こえない状況をとらえるために、ルポルタージュを得意としてきたマンガ家が専門家への取材を通して、音を聞くメカニズムをマンガによって表現している。作者が聞き手に徹して、専門家の解説や、聴覚に難を抱えている当事者の境遇や気持ちを紹介する場面は、「学習マンガ」の観点からの注目もなされている。教科書を想起させるような耳や脳の断面図を用いて「耳鳴り」の仕組みが解説される場面がある。また、医療の専門家および症状に苦しむ人々への取材を踏まえ、「頭蓋骨を外し、むき出しになった脳を鳥の羽で軽くなでられている感覚」を視覚で表現している場面では、レトリックと感覚・視覚を織り交ぜることにより、取材者である筆者にとってもまた未知の領域である「難聴」や聴覚障がいが当事者にとってどのように実感されているのかを模索しながら探究している。マンガは音声をそのまま表現することはできないメディアであるが、ことばや文字を歪める仕掛けによって「難聴」を視覚的に表現している点に、医療マンガとしての本作の貢献がある。