日本の医療マンガ50年史
医療マンガレビュー

認知症のある人って、なぜ、よく怒られるんだろう

介護現場にいたからこそのリアリティで描かれる老人たちの個性

認知症のある人って、なぜ、よく怒られるんだろう
キーワード
介護認知症
作者
北川なつ
作品
『認知症のある人って、なぜ、よく怒られるんだろう』
初出
自費出版(2012年)
単行本
『新装版 認知症のある人って、なぜ、よく怒られるんだろう』(実業之日本社、全1巻、2016年)

作品概要

 本書は、特別養護老人ホームやグループホームでの勤務経験もあり、ケアマネジャー、介護福祉士の資格も持つ著者が、その「経験と知識を元に創作した架空の物語」をまとめた短編集。独特の素朴な絵柄で表現された創作とは言うものの、物語の細部はきわめて精度の高いリアリティに溢れ、著者が生来持っているのであろう冷静な観察眼が、この作品を支えている重要な柱となっている。
 登場人物は、認知症のある老人たちと、その家族、介護の現場の人々。タイトルに反して、怒られている老人はほとんど登場せず、むしろ怒られているのは介護者たちだ。「はじめにのはじめに」に書かれてあるように、「認知症介護を経験していてもわからないことだらけ」、「マニュアル通りにうまくいかないことだらけ」という、筆者の実感が反映されているのだろう。

「医療マンガ」としての観点

 「マニュアル通りにうまくいかない」のは、相手が結局、個性を持った人間だからである。本書に登場する老人たちも、実に多様だ。「職員を困らせる介護シーン、ベスト3の1つ」である入浴拒否する人が繰り返し出てくる一方で、施設の中をよつんばいで移動し、誰彼構わず悪態をつく、といった個性的な老人が次々と現れる。作者自身書いているように、「どこまでが病気のせいで、どこまでが本人の性格かなんて線引きできない」のだから、介護というのは結局、あるひとりの個性と付き合うことだということがわかる。
 そのことは、32歳の男性グループホーム職員と、彼に恋をした90歳の女性の関係の顛末を描いた、少し長い最後のエピソードに象徴的に表れている。男性職員は、作者本人がモデルだろうか。どこまでが創作なのかわからないが、最初から最後まで、現実にあり得そうな生々しさを持った話だ。
 本書の「第二弾」として構想され、結局7年後に刊行されることになった『親のパンツに名前を書く時』(ぺこなつ堂、2020年)には、作者本人の母親の介護の話が収められているが、そこには、より私的で濃密な個人と個人の関係性が反映された介護が描かれている。合わせて読まれたい。
 ところで、認知症の老人を扱ったマンガ作品は多くはない。特に、認知症のある人たちの視点から世界を描いたフィクションはほとんど皆無と言っていいが、高野文子の短編「田辺のつる」や大島弓子「金髪の草原」は、そうした表現に挑戦した、マンガ史的にも重要な作品である。

【執筆者プロフィール】

イトウユウ
1974年愛知県生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。専門は民俗学・マンガ研究。国際マンガ研究センター所属の京都精華大学特任准教授として、京都国際マンガミュージアム他で数多くのマンガ展を制作してきた。「マンガミュージアム研究会」として、ウェブサイト「マンガ展のしくみ」を運営。

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