パーキンソン病に侵されたマンガ家の闘病までのあまりに長い道のり
- キーワード
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- 作者
- 島津郷子
- 作品
- 『漫画家、パーキンソン病になる。』
- 初出
- 『ほんとうに泣ける話』(ぶんか社、2014年2月号-2017年1月号に発表されたものからセレクト)
- 単行本
- 『漫画家、パーキンソン病になる。』(ぶんか社、BUNKASHA COMICS、2016年)
※「初出」は単行本のクレジットに基づいています。
作品概要
作者の島津郷子は『ナース・ステーション』などで知られるマンガ家。同作連載中の2001年初め頃から体に異変を覚え、やがて右半身のだるさと右手の震えに悩まされるようになる。耐え切れなくなり、その年の年末に大学病院で検査を受けると、疲労の蓄積と診断され、半年ほど休養するよう勧められ、薬を処方される。
ところが、1カ月ほど服薬を続けても症状の改善は見られない。休養のために訪れた久里浜のマンションで友人のマンガ家から、亡くなった父に同じような手の震えがあり、パーキンソン病と診断されたと聞かされ、不安な気持ちになる。
年が明けた2002年、相変わらず症状の改善が見られない作者は、いよいよマンガの仕事を休業し、藁をもすがる気持ちで精神科、神経内科とさまざまな医者の門を叩く。2005年には、パーキンソン病の権威のもとを訪れるが、診察結果はパーキンソン病ではないというものだった。
その後も五里霧中の歳月が続くなか、状況が変わったのは2007年。再びパーキンソン病の権威のもとを訪れると、医師はついに誤診を認め、パーキンソン病という診断をくだす。診断がおりたことで、作者は絶望的な気持ちになる一方で、どこか救われたような清々しい気持ちを覚える。
2008年の春、作者は友人を通じて、脳深部刺激療法(DBS)を知る。遅疑逡巡の末、彼女は手術を受ける決断を下すのだった。
「医療マンガ」としての観点
一度はパーキンソン病ではないと診断した医師が、数年後、自分の意見を覆す場面が印象的である。医師たちが自分の言葉よりも精神科からの紹介状に重きを置いていると感じた作者は、自身の症状を書面にしたため、くだんの医師に見せることにする。作者の手紙を読み進めるにつれ、青ざめていく医師の顔を尻目に、作者はこう独白する。
「先生…先生は…いつも/やわらかな口調で…そしてとても冷ややかに淡々とお話しされますよね。/ピカピカの革靴をはいて…仕立てのよさそうなズボンの上に白衣をピシッと決めてらっしゃいました/どんな時にもスキを見せず立派で…そうやって優位な立場から私のような(あわれな)患者を診ておられるのかな―なんて…ことを考えたりもしています」。
この診断がおりるまで実に7年。「おそらくパーキンソン病ですね」と告げる医師に対して、さまざまな思いが去来するなか、作者がやっと絞り出したのは、それでも「ありがとうございます」という言葉だった。
診断がおりたあと、作者はかつて自分が描いたマンガを久しぶりに手に取り、「もう描けないかも」と思って涙を流す。
そんな彼女をわずかなりとも救ってくれたのは、彼女と同じようにパーキンソン病に侵されたマイケル・J・フォックスの自伝『ラッキーマン』だった。おそらくは本書『漫画家、パーキンソン病になる。』が、今同じ病に苦しんでいる人々の救いとなるに違いない。