日本の医療マンガ50年史
医療マンガレビュー

JIN-仁-

現代の医師がもし幕末にタイムワープしたら?―医療×歴史ロマンの物語

JIN-仁-
キーワード
SF(タイムワープ)ペニシリン先端医療医史学歴史時代劇疫病
作者
村上もとか
監修:酒井シヅ・冨田泰彦・大庭邦彦
作品
『JIN-仁-』
初出
『スーパージャンプ』(集英社、2000年第9号-2010年第24号)
単行本
『JIN-仁-』(ジャンプ・コミックス・デラックス、全20巻、2001-2011年)

作品概要

 2000年、大学病院にて脳外科医局長をつとめる南方仁(34歳)は、優秀な技量と豊富な医療知識を持つ脳外科医である。頭蓋骨の中に胎児のような不思議な形の腫瘍を有した男性の手術を行った翌日の夜、病院で腫瘍の標本をその男性が盗み出そうとしているところに遭遇する。もみ合いになった結果、仁は階段から落ち、気がつくと140年前の江戸時代(文久2年、1862年)にタイムスリップしてしまっていた。そこで旗本・橘恭太郎が攘夷を掲げる脱藩浪人たちに襲撃される場面に遭遇し致命傷を負っていたところ、仁が急性硬膜外血腫の手術を行い、命を助けた縁で橘家に居候するようになる。表向きは記憶喪失ということでふるまいながら、麻疹やコレラ(虎狼痢)の集団感染に苛まれていた町の人たちを救うことで信頼を得ていく。この時代に存在しない医療技術を持ち込むことで歴史を変革させてしまう(タイム・パラドックス)ことを当初は懸念していた仁であったが、現実に病と健康の不安に直面している人々を前に、仁はやがて医師としての職務から自身の医療技術と知識を積極的に江戸時代に導入していくことを決意し、漢方医と蘭方医を融合する診療所・仁友堂を構えるに至る。貧しく医療費を支払う余裕がない相手に対しても、時に無償で医療を施す仁の姿を通して、医療とは何か、医師としての使命とは何かを探る物語でもある。仁はなぜ江戸時代に迷い込み、この類まれな経験からどのような医師を目指していくことになるのか。
 本作は時空を飛びこえる「タイムワープ」を用いた歴史ファンタジー物語でもある。江戸幕府の医官(奧医師)であり、医学所頭取であった緒方洪庵や、勝鱗太郎(勝海舟)、坂本龍馬、佐久間象山、沖田総司、西郷隆盛、福沢諭吉ら錚々たる歴史上の人物が登場するのも歴史ロマンとしての本作の魅力になっている。当時存在しなかった医療を導入することで、歴史上の人物の未来を変えることはできるのか、また、幕末から明治維新に向けて、価値観が大きく変動していく激動の時代の人間ドラマがじっくり描かれている。
 さらに、仁が身を寄せていた旗本・橘恭太郎の妹・咲は、仁の助手として、看護師として、さらにやがては医師となり、時に仁がコレラに罹った際などは献身的に仁の看病をするなど公私ともにパートナーとなっていく。咲は仁が実は未来からやってきたことを知っている。この2人の恋の行方もこの物語の一つの柱となっている。
 最終的に、物語を通して6年間の時間が流れることになる。最終的に主人公は元の世界に戻ることができるのか、どのようにして物語は着地点を見出すことになるのかが読みどころとなる。
 作者は、代表作となる剣道を題材にしたスポーツマンガ『六三四の剣』(1981-1985年)をはじめ少年マンガ誌で長年にわたり活躍してきたが、1990年から連載開始された昭和初期を舞台とする歴史マンガ『龍-RON-』(1990-2006年)など青年誌に活動の拠点を移してからは、歴史を展望し、SFやサスペンスの手法を駆使しながら人間の尊厳、人間模様を描く作品が多く現われるようになり、第15回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞作となった『JIN-仁』は作者の青年誌での活動の代表作となるものだ。
 2009年にテレビドラマ化(「第I期」)がなされ、2011年には「完結編」が放映されている(主演:大沢たかお)。また、2020年4月、コロナ禍での緊急事態宣言の最中に、新しいドラマの製作が困難になった事情を受けて、再編集版が一挙放映され話題となった。ウイルスによるパンデミックに際し、21世紀の現代において江戸時代の疫病をめぐる物語が身近に感じられる不思議な体験もすでにこの作品が古典に位置づけられる証となるものであろう。ほか、2012年には宝塚歌劇団によるミュージカル版、2011年には韓国のテレビドラマ版もある。

「医療マンガ」としての観点

 「医事考証」として、江戸時代の医療にまつわる知識・技術がどのようなものであったのか、「医史学」の見地から医療監修が入っている点に特色がある。幕末の時代における医療と健康にまつわる迷信から、蘭学、西洋医学、東洋医学など、当時の医療知識をめぐるあり方が物語の下敷きになっている。また、当時の材料を用いてどこまで現代医療を導入することができるのか、代替するにはどのような手段が考えられるのかをめぐる登場人物たちの創意工夫は災害医療時の即興医療の発想に近いものであるかもしれない。医史学の分野においても、このように想像力を用いる仮定の物語を通して見えてくる側面もあるのではないか。
 作品完結時の「著者あとがき」によれば、本作の製作にあたり「医史学、先端医療、幕末史」の3要素にまつわる監修者をまず求めたという。2000年当時の先端医療、江戸時代の医療を取り巻く状況、そしてこの物語の舞台となる幕末の時代思潮、こうしたそれぞれの専門的知識を活用した上で、ユニークな「医療時代劇」としての『JIN-仁-』が成立している。
 大学の医学部学生時代に友人から青カビによってペニシリンを精製する手法を教わったことを思い出した仁は、西洋医学所の協力を得て青カビを培養し、ペニシリンの製造に成功する。ペニシリンは細菌による感染症を防ぐ抗生物質であり、アレクサンダー・フレミングによって1928年に発見されるが、この物語の中でもっとも印象深い場面になっているのは、江戸時代の限られた制約の中で純度の高いペニシリンを精製していく試行錯誤の過程であろう。再現検証が可能となるほどまでに実証的に描かれている。
 作者によれば、梅毒などの感染症によって短命であったとされる遊郭の遊女たちの人生に想いを馳せたことがもともとの着想の発端であったという。もし、新しい医療を施すことができれば救えた命があったのではないかをめぐる物語であり、文明の成熟度にかかわらず人との触れ合いから、医師である主人公が医師としての人生を学んでいく物語である。

【執筆者プロフィール】

中垣 恒太郎(なかがき こうたろう)
専修大学文学部英語英米文学科教授。アメリカ文学・比較メディア文化研究専攻。日本グラフィック・メディスン協会、日本マンガ学会海外マンガ交流部会、女性MANGA研究プロジェクトなどに参加。文学的想像力の応用可能性の観点から「医療マンガ」、「グラフィック・メモワール」に関心を寄せています。