日本の医療マンガ50年史
医療マンガレビュー

母のがん

がんをめぐる普遍的な家族の物語

母のがん
キーワード
5年生存率がんてんかん症状転移性脳腫瘍
作者
ブライアン・フィース
訳者:髙木萌
作品
『母のがん』
単行本
『母のがん』(翻訳: 高木萌、解説: 小森康永、ちとせプレス 、2018年)

作品概要

 本作は、ステージ4の肺がんと診断された母親の闘病生活と、それをサポートする患者家族の日々を、その患者家族(長男)自身の手によって描いた自伝的グラフィックノベルである。病気の発覚からはじまり、治療への不安、激変する生活から、家族の葛藤、医者に対する不信まで、闘病にまつわる患者と家族の変化が丁寧に描かれる。
 元々は2004年からウェブ上で、闘病中の家族のプライバシーに配慮して匿名で発表された作品が口コミで評判を呼び、2005年にはマンガのアカデミー賞とも呼ばれるアイズナー賞の、新設されたベストデジタルコミック部門を受賞、それらの評判を受けて2006年にアメリカで書籍化、その後も様々な言語で翻訳出版されている。
 欧米でも近年、自伝的なマンガがネット上で公開されることが増えてきたが、本作はそれらの作品の中で最も早くから評価された作品のひとつである。

「医療マンガ」としての観点

 日本にも闘病記的なエッセイマンガは多くあるが、それらと比較したとき本作の大きな特徴は対象と距離を取ったような淡々とした描写ではないだろうか。
 例えば、主人公である作者は感情をモノローグでは吐露するが、描かれる顔の表情はとても抑制されている。彼だけでなく、母をめぐり家族が感情的に対立してついに口喧嘩をしてしまうシーンでさえ、その描写は「緊急事態に直面すると」各々が「スーパーパワーを得たみたいに」「さらにその人らしく」なるという作中の例えの通りに、それぞれ別のアメコミ風ヒーローに変身して戦うという形で、誰に感情移入させるでもなく、とても批評的な目線で描かれる。
 またこの距離感は、表現のレベルの違う描写を組み合わせるという、日本のエッセイマンガではあまり導入されない描写を可能にする。
 双六の盤面を模したコマを使って、きちんとした診察を受けるための道のりを表現したり、連続した上下のコマの内、上で行われる実際の会話の裏の意図を下のコマでセリフ化したりするなどの新しいコマのルールを導入するようなことは、日本のマンガなら読者を現実に戻してしまうと避けられる表現だろう。
 しかし、上記のような距離を取った描写は、医療にまつわる複雑な情報を、図解を交えてわかりやすく表現するにも、また混乱のさなかにいる患者やその家族を読者として想定したときにも、とても有効なものに思える。抑えた、しかしながら上記のような工夫を凝らした表現を積み重ねた先で、感情を一目でわかる絵で見せられる衝撃はマンガでしかできない奇跡のような表現だ。
 ウェブ連載時に医療の講義で是非使いたいという要望が高かったという話がよくわかる、個別の一事例に過ぎないはずの『母のがん』が、誰もが体験する普遍的な家族の話のように感じられるすばらしい作品である。

【執筆者プロフィール】

市川圭(いちかわ けい)
1984年福島県生まれ。京都精華大学大学院芸術研究科博士後期課程退学。2017年より京都国際マンガミュージアム図書(日本アスペクトコア業務委託)勤務スタッフ。