日本の医療マンガ50年史
医療マンガレビュー

「以前」「以後」「この先」
マンガが描く感染症

熱病の年 1918年のパンデミック

歴史に学び、視野を広げ、困難な時を生き抜くための預言の書

熱病の年 1918年のパンデミック
キーワード

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作者
ドン・ブラウン
作品
『熱病の年 1918年のパンデミック』
(2019、未訳)

※「初出」は単行本のクレジットに基づいています。

作品概要

 感染症を描く海外のマンガ作品を紹介したい。
 フィクションではなく、歴史を扱ったノンフィクションマンガ(グラフィック・ノベル)として、アメリカの児童書作家ドン・ブラウンによる『熱病の年 1918年のパンデミック』をとりあげてみよう。いわゆる「スペイン風邪」として猛威を振るった1919年のインフルエンザ・パンデミックを扱った作品であり2019年秋に刊行された。
 ドン・ブラウンは水彩画のようなタッチに特色がある、歴史ノンフィクションを得意とするグラフィック・ノベル作家である。彼の作品の巻末には膨大な参考文献が付されるが、歴史をめぐる豊富な情報量をわかりやすく物語仕立てで解説するストーリー・テリングの巧みさは、子ども向けの作品を数多く手がけていることから培われたものであろう。一方で、エピソードをふんだんに盛り込んだ、いわば、大人向け「学習マンガ」とでも呼ぶべき現代史の物語に触れる楽しさを実感させてくれる書き手である。
 代表作のひとつで、シリア難民問題を描く『望まれざる者』(The Unwanted, 2018)は、YALSA(全米図書館協会ヤングアダルト図書館サービス部会)が選出するティーン向けのすぐれたグラフィック・ノベルの一作品として高い評価を得ている。
 1930年代の大不況期を描いた『偉大なるアメリカのダスト・ボウル!』(The Great American Dust Bowl, 2013)や、ゴールド・ラッシュ、リンカーン暗殺などを描いた作品もある。さらに、現代のアメリカおよび世界をめぐる歴史的事件・出来事をめぐり、同時多発テロを題材に扱った『攻撃されるアメリカ』(America is Under Attack, 2011)、2005年のハリケーン災害にまつわる『沈んだ街 ハリケーン・カトリーナとニュー・オリンズ』(Drowned City: Hurricane Katrina and New Orleans, 2015)ほか、歴史を踏まえたフィクション物語として移動労働者「ホーボー」を主人公にした『トレイン・ジャンパー』(Train Jumper, 2007)などもある。
 これだけ多様な題材を作品にしてきた著者であることから、『熱病の年 1918年のパンデミック』はそもそも百年後の時代に発表する構想があったことは充分に推察される。
 はたして、この作品は不思議なめぐりあわせのように2019年に発表され、渦中の我々の前に示されることとなった。
歴史はくりかえす。大局的な歴史のダイナミックな流れから見えてくる側面は数多い。そして、視覚文化であるマンガのメディアの特性を活かして時代や場所、人物の視点が縦横無尽に横断される。
 第一次世界大戦も終焉に近づきつつあった1918年1月1日、ニューヨークのタイムズ・スクエアから物語ははじまる。アメリカのカンザス州にあるファンストン陸軍基地内の神兵訓練所から第一次世界大戦「異変」が起こる。奇病でバタバタと兵士たちが倒れていく。中立を外交方針としていたアメリカであったが、ドイツによる無制限潜水艦爆撃作戦を契機に1918年春からヨーロッパに派遣軍を送ることになったことが背景にある。兵士たちが塹壕の中に閉じこもる結果、感染が広がり、さらに世界中の移動を通して軍隊が占領・駐屯する都市・村・町へと拡散していった。大戦後、兵士たちは愛国心と確実な勝利と安全な帰還と一緒に「病気」をも持ち帰る。わずか数か月の間に世界中に伝播していたインフルエンザは、情報統制がされてなかった中立国のスペインから国際ニュースが発信されていた経緯により、アメリカ人の間で「スペイン風邪」と命名されその由来が曲解されたまま、日本でも通称「スペイン風邪」として流行するに至るのである。
 『熱病の年 1918年のパンデミック』は「三幕もの悲劇」と付されている通り、1918年の幕開けからパンデミックの進展を3段階の物語に分けて構成している。実際に最初の流行となる「第1波」、1918年秋から起こった「第2波」、1919年春からの「第3波」へと悲劇がくりかえされたところにパンデミックのおそろしさがある。
 まず悲劇の第一幕は1918年7月までのおよそ半年の顛末が本編90頁中の10頁分に相当する短い分量で描かれる。この時点ですでにおそろしい惨劇が起こっていたわけであるが、当時の人たちにとって、1889年にロシアから発生した疫病は記憶に新しかったことだろう。最初のパンデミックといわれる、いわゆる「ロシア風邪」を比較参照したなら、医学の進歩により人類はウイルスを克服できると過信したにちがいない。20世紀に人類は感染症に勝利したと信じていた私たちのように。しかし、それは序章にすぎない。

 第2幕「1918年8~12月」はアフリカからはじまる。ウイルスはアメリカ全土、さらに国境を越え、人種や社会的立場も越えて急速に広がり続ける。「これでいいかげん収束しただろう」という切望や祈願を何度も挫き、悪夢のカーテンコールはなんと1922年までくりかえされるのだ。
 最終章「1919年」では、埋葬されていた80年前の遺体から抽出されたゲノム情報を米陸軍病理学研究所(AFIP)のジェフリー・タウベンバーガー博士が解析するに至ったニュースが紹介される。2005年に実際にあったこのエピソードは、1918年のパンデミックが単なる過去の出来事ではなく、21世紀の医学研究に応用される可能性に繋がる。2005年は「鳥インフルエンザ」が問題視されていた時期であり、1918年のパンデミックももともとは鳥の体内に存在していたウイルスが突然変異を起こし、人間に感染したものであった。80年の歳月を越えて、ウイルス研究もそしてウイルスの脅威も進展している。
 豊富な参考文献に裏打ちされているように、さまざまな証言や逸話が挟み込まれて構成されている点が読みどころとなる。歴史の教科書では数行で扱われているかもしれないところを、兵士、市民、医療従事者、疫学研究者など様々な人物による視点を複層的に織り交ぜることにより、1918年のパンデミックの様相が立体的に浮かび上がってくるのだ。淡々とした筆致がこのおそろしいパンデミックに凄みをもたらしている。90ページほどの文量に詰め込まれた情報量の多さ、グローバルなスケールが読み手に負荷をかけないところはグラフィック文化ならではであり、さらにこの作者ならでは、であろう。
このインフルエンザで婚約者を失くし、自身も臨死体験を得た作家キャサリン・アン・ポーターの中編小説「幻の馬 幻の騎手」(“Pale Horse, Pale Rider,”1939)は、彼女自身の「1918年のパンデミック」体験が色濃く反映されているという。このグラフィック・ノベルはポーターの言葉で締めくくられる。曰く、彼女の人生は「以前」「以後」に分けられる。
 本来であれば、このグラフィック・ノベル『熱病の年 1918年のパンデミック』は、21世紀になおも続くウイルスの時代に、遠い歴史の物語として読む意義を見出す読書行為となるはずであっただろう。しかし、今となっては預言の書であり、実用書のように見えてしまうような、「以後」の時代に私たちはすでに置かれているのかもしれない。歴史に学び、視野を広げ、困難な時を生き抜くために、本書は歴史マンガを読む楽しみと有用性を体現している。
 アメリカの歴史ノンフィクションマンガ『熱病の年 1918年のパンデミック』は、日本の感染症パニックサスペンスマンガ『リウーを待ちながら』(朱戸アオ、講談社、2017-18年)と同じく、新型コロナウイルス蔓延「以前」に描かれた作品である。しかし、ジャンルもテイストも異なるこの両作品は、どちらも我々の今に強い説得力を持つ。どちらも楽観視しすぎることもなく、それでいて悲観しすぎることもなく、起こっている現実をそれぞれの人物たちがどのように受けとめるかを丁寧に描いている。翻訳版は今のところ存在しないが、電子書籍で簡単に入手可能であり、多様な読者に開かれている作品であるために読みやすい英語で書かれている。
 かつてとまったく同じような形では「日常」を取り戻すことは残念ながら難しいかもしれないが、大局的な視野で歴史と世界を見ることにより、「この先」を見据えるヒントに満ちた作品である。

【参考文献】
Brown. Don. Fever Year: The Killer Flu of 1918. HMH Books, 2019.(電子書籍有)
ドン・ブラウン公式HP(英語版)(https://www.booksbybrown.com/about-don/)

【執筆者プロフィール】

中垣 恒太郎(なかがき こうたろう)
専修大学文学部英語英米文学科教授。アメリカ文学・比較メディア文化研究専攻。日本グラフィック・メディスン協会、日本マンガ学会海外マンガ交流部会、女性MANGA研究プロジェクトなどに参加。文学的想像力の応用可能性の観点から「医療マンガ」、「グラフィック・メモワール」に関心を寄せています。

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