傷ついた身体は医療で守り、傷ついた心は仏教で守る「僧医」の奮闘記
- キーワード
- 仏教僧医救急医
- 作者
- こやす珠世
- 作品
- 『病室で念仏を唱えないでください』
- 初出
- 「病室で念仏を唱えないでください」
(『ビッグコミック増刊号』2012年8月17日号-連載中、『ビッグコミック』掲載分も含む) - 単行本
- 『病室で念仏を唱えないでください』
(小学館、ビックコミックス、6巻-、2012年-)
※「初出」は単行本のクレジットに基づいています。
作品概要
あおば台病院救急救命センターに勤める松本照円は、救急医として働く一方で、枕経を唱え礼拝室でお勤めを開く僧侶でもある。呼び出しがあれば現場に僧衣のままで駆けつけるが、葬儀と勘違いした患者から怯えられることも。聞き慣れない読者も多いであろう「僧医」を題材とした作品。2020年にはTBSテレビ系放送の連続テレビドラマ化されている(全10話)。
主人公の松本は、僧形でありながらも遅刻が多く酒食を楽しむ非常に「人間くさい」存在である。また、患者や家族への対応に思い悩むあまり、非道な振る舞いをしてしまう患者家族を殴り飛ばすなど僧医として未熟な面も多く、超然とした存在ではなくむしろ親しみやすいキャラクターでもある。同僚や他科の医師たちとの休憩中や雑談の折に描かれるコミカルな言動が作品全体のトーンを明るくしている。
一方で、救急救命現場のシーンは患者が次々と運び込まれ一刻を争う展開が続き、応急処置や手術などの治療場面が克明に描かれるシリアスな内容である。治療の甲斐なく亡くなる患者や死別に直面する患者家族もしばしば登場し、ハッピーエンドと言えないエピソードも多い。その中で松本は救急医として人々の命を救いながら、一方では治療にのぞむ患者や家族を失った人々に仏法を説き彼らの心のケアも試み続ける。
「医療マンガ」としての観点
僧医という題材を「出落ち」の要素とせず、仏教と医療の双方を「医療マンガ」のストーリー構成に欠かせない要素としていることこそが本作の面白さである。歴史的に見れば、近世以前の主な医療の担い手は宗教者であり僧医の歴史は鎌倉時代に遡るというが、医師であり僧でもある「僧医」は数少ないながら現在も医療に携わっている。
作中の救急救命センターに運び込まれるのは事故に巻き込まれた患者も多く、前日まで普通に生きていた人の命が突発的に失われ、残された家族・友人の心を苦しめる様子が何度も描かれている。松本が仏法を説くのは彼らの心をケアするためである。
また、松本が僧衣のまま現場に向かう様子からもうかがえるように、作中の救急現場はしばしば多忙の極みにある。過酷な現場描写は医療従事者たちもまた心のケアが必要となることを読者に訴えている。医師たちもまた、目指すべき医療や院内の人間関係などの問題に直面しており、松本の説法が彼らの心を和らげる場合もあるのだ。そして、仏教は、松本にとっても、かつて友人の死に直面した自身の心のケア手段となっている。作中における仏教は、患者や遺族の「ケア手段」というより、患者の命を預かり日常的に死と対面する医師の「心を支え」として強い存在感をもつ。
患者やその家族、医療従事者といった医療に関わるすべての人たちを含む心のケアの重要性が描かれている点は、仏教の衆生救済というモチーフにも通じ、本作の「医療マンガ」としての可能性を拓いている。