小林 翔
本書で扱う「医療マンガ」という括りは、実は自明なものではない。
日本におけるマンガジャンルは少年マンガや少女マンガというように、掲載雑誌の性質(特に想定読者層)に基づいた分類が行われている。これによってコミックスのレーベルや判型が決定され、書店における陳列もそれに従うこととなる。こうしたジャンル分類はマンガというメディアの流通環境を規定しており、コミックスのレーベルを持たない出版社から刊行される描き下ろし作品や、海外コミックスの翻訳作品などは、こうした流通・陳列の場においてマンガと見なされないことが多い。列記としたバンド・デシネである『タンタンの冒険』シリーズが、日本においては児童書の出版社である福音館書店から出版されているため、絵本扱いとなっているのがその代表例であろう。
こうしたメディア環境を前提にすると、医療マンガという括りの不確かさがより鮮明になる。
日本のマンガは特定のテーマに基づいたジャンル分類がほとんど行われておらず、行われているものに関しても、①特定のテーマに特化した専門誌が存在し、それらのテーマ作品を独占的に供給しているケース(例 竹書房の『近代麻雀』誌など)、②個人によって作品リストの編纂や系譜の整理が行われ、それらが成果として発表されているケース(例 米沢嘉博『戦後SFマンガ史』『戦後野球マンガ史』など)のいずれかであり、前者が結果的にジャンル化しているに過ぎないことを踏まえれば、特定のテーマをジャンルとして可視化させる作業は属人的な成果に極端に依存している。公的・横断的なポップカルチャーのデータベースを標榜した文化庁の「メディア芸術データベース」の出力結果よりもWikipediaの○○作品一覧のページの方が詳しいのも、つまるところは属人性、マンパワーといった言葉で片付いてしまう問題である。
医療マンガの場合は前述のいずれのケースにも当てはまらないが、読者の肌感覚では「医療マンガ」という言葉から連想される作品群というものは確かに存在する。そうした感覚的な作品同士のテーマ的つながりは、私たちがコミックスに触れる際に物理的に可視化されているレーベル・判型・陳列などを規定する「顕在的ジャンル」に対して「潜在的ジャンル」とでも呼べばよいだろうか。「サッカー」「法曹」「将棋」等々、マンガは無数の潜在的ジャンルで溢れている。しかしながら、こうした潜在的ジャンルを念頭にマンガに触れる、マンガを探す方法は、書店・通販サイト・図書館やミュージアムなど収蔵施設など多くの経路において困難である。端的に言って、紙メディアとしてのマンガは参照性が低いのである。
とはいえ、ここまでの議論は主に紙メディアのマンガに焦点を当てたものであり、電子メディアのマンガでは少々事情が異なる。
物理メディアの参照性の低さに対し、電子メディアにおいては作品自体にさまざまな属性を設定することが可能であり、閲覧ページにおける「タグ」付けによって参照性を確保している。タグによる属性のインデックス化は物理メディア環境を規定する「顕在的ジャンル」、「作者」「出版社」「掲載誌」などの主要な参照項と、「恋愛」「ミステリー」「ファンタジー」といった「潜在的ジャンル」を等価にする。
検索窓において誌名とジャンルが等価に処理され出力されるのは、電子メディアに特有の利点である。ただし、こうしたジャンルタグによるインデックス化にも欠点はあり、各々のサイトやアプリなどで設定されるタグは共通のものではないため、サービスごとに異なる検索結果が出力されてしまうという点は注意が必要であろう。
まとめると、紙メディアのマンガ…「顕在的ジャンル」に基づく陳列・展示の秩序があり、「潜在的ジャンル」は可視化されづらい。電子メディアのマンガ…検索を前提としたタグ付けによって管理されており、顕在・潜在というジャンルの序列はほぼ無効化されている。ただし、タグの設定という異なる秩序が生成されている。というように、電子化以降のマンガを取り巻く環境はメディアごとに大きく様変わりしている。
そうした状況下で特に「医療マンガ」というジャンルになお注目するのは、SNSやブログといった媒体でアマチュアが発信する医療マンガの存在感が無視できないからだ。本書におけるレビューではあくまで単行本化された作品のみを対象としているが、レビューでも触れている藤河るり『元気になるシカ!』やさーたり『腐女医の医者道!』などの作品は作者のブログでの連載を元に出版されたもので、商業展開を前提に描かれたものではない。こうしたアマチュアによるマンガの発信は作者個人の来歴やエピソードを綴るエッセイ形式と親和性があり、「育児」や「闘病記」といったテーマもここに含まれる。本書が規定する医療マンガとは、そうした生活史を切り取った作品の包摂も目指している。商業的な媒体へと回収されるか否かは脇へ置いても、こうした個人発信のマンガが影響力を持つという現象は近年の「バズり」を契機とするSNS上のトレンドとして確立し、電子プラットフォームで展開されるマンガ作品の趨勢とも異なった広まりを見せている。異なる秩序によって形成されたメディア環境を俯瞰するうえで、特定の環境の秩序に由来するジャンル分類は有効ではない可能性が生じるだろう。医療マンガの50年という歴史は、メディアの変遷を経てなおそれぞれのメディアにジャンルを萌芽させ、横断的な視点を得るために十分な蓄積である。従来の潜在的ジャンルとしての医療マンガが、今日のメディア環境においてどのように規定されるのかは今後の課題となるが、これまでのジャンル史が属人的な成果によって編まれてきたのと同様に、本書がそのための橋頭堡となれば幸いである。