medical manga
「医療マンガ」への招待

スーパードクターの系譜

小林 翔

スーパードクターの系譜

 医療をテーマにしたフィクションにおいて「スーパードクター」という題材は現在も根強い人気がある。卓越した手術の腕前を有し、あらゆる怪我や病気をたちどころに回復させてしまう超一流の名医。現実においても一部の心臓外科医や脳外科医といった生死に密接に関わる部位を専門とする医師がそう呼ばれることもあり、そうしたスーパードクターへの崇敬は、一種の信仰の様相を呈している。
 医療マンガにおいては、言うまでもなく手塚治虫の『ブラック・ジャック』がその始祖である。一匹狼の無免許医であり、法外な手術料と引き換えにあらゆる傷病を治療する。そうしたアウトローなキャラクター性は人気を博したが、医学的な見地からは大いに問題を孕んだ作品だったと言える。同作のマスコットキャラクター・ピノコの誕生を描いた第12話「畸形嚢腫」や大病院を管理するコンピューターを治療する番外編「U-18は知っていた」に代表されるように、医学の限界を超えた虚構の領域に踏み込んだ治療行為が『ブラック・ジャック』には度々登場する。こうした医学的リアリティとフィクションが同水準で語られることや、手塚の医学知識の不正確さもあり、特にロボトミー手術に関する描写は障害者団体からの抗議で改変・封印を余儀なくされたことでも知られている。
 しかし、現実のスーパードクターがあくまで特定の分野の専門医であるように、あらゆる傷病を治療する「万能の医者=スーパードクター」は現実的には存在しえない。それをあえて描くとすれば荒唐無稽な存在になるのは必至であり、『ブラック・ジャック』はそうした不可能性を引き受けた結果、医療行為のリアリティよりもフィクションとしてのスーパードクター像の成立を優先したのである。それはスーパードクターを描く後年の作品にとって乗り越えるべき課題となった。では、『ブラック・ジャック』以降、スーパードクターはどのように描かれてきたのか?
 タイトルに「スーパードクター」を冠した『スーパードクターK』の主人公KAZUYAは、190cm超の身長に人間離れした怪力を備えた偉丈夫として描かれ、物語の前半は同時代のバトルマンガに影響を受けたと思われるアクションや暴力描写が多くを占める、KAZUYAの肉体面での超人性を強調した作劇がなされていた。医療行為についての描写も、現役医師の中原とほるが原案協力として制作に関与することで、超人的なメス捌きの腕前を持つKAZUYAの施術に、医学的リアリティと説得力を与えることに成功している。こうした医師や医学博士による「監修」といった慣例は、『スーパードクターK』の連載されていた1980年代後半から顕著にみられるようになってくる。『ブラック・ジャック』においては手術の腕前によって描かれていた超人性は、KAZUYAの身体性へと置き換えられ、医療行為にまつわる描写を現実に即した水準に徹底することで、リアリティとフィクションのバランスを調停することに成功したのである。
 「スーパードクター」の概念をズラして描かれたのが村上もとかの『JIN-仁-』である。主人公の宗方仁は優秀な脳外科医ではあるが、他作品で見られるような超人性は持ち合わせていない、一般的な意味での名医である。しかし、現代の医師が幕末へとタイムワープしてしまうというSF設定を導入することで、医療の水準が後退した世界に身を置くことになり「相対的なスーパードクター」として振舞うこととなる。コレラ対策やペニシリンの開発といった仁の業績は現代医療においては達成済みの常識であるが、同時代の医療水準においてはオーバーテクノロジーであり、まさしく神業である。現代の医師として仁の超人性を強調しすぎることなく、置かれた環境を大胆なフィクションとして描くことで、スーパードクターの不可能性を回避した力作であろう。
 『ブラック・ジャック』以降のスーパードクターは、医学的リアリティとフィクションとしての在り方を丁寧に切り分けることで描き出そうと試みられている。医師による「監修」によって技巧の精度や限界が保証されつつも、それを超越するための設定やキャラクター性といったフィクションの領域が、万能の医師という超人性に存在感を与えることに成功している。とはいえ、高度に専門化された医療を題材とする近年の医療マンガは、その内実の正確性を追求すればするほど、スーパードクターという存在を否定せざるをえないコンフリクトを抱えている。そうした新たな課題に挑んだのが『医龍』であるが、詳細についてはレビューを参照されたい。