medical manga
「医療マンガ」への招待

医療マンガへの招待

日本グラフィック・メディスン協会
代表理事 落合隆志

はじめに――「医療マンガ」とは?

「医療マンガ」への招待

 私たち日本グラフィック・メディスン協会では、日本の医療マンガの歴史を展望する『医療マンガ50年史』を編纂するプロジェクトを展開しています。
 現在、テレビドラマでも「医療ドラマ」は人気のジャンルとして注目されています。『コウノドリ』、『透明なゆりかご』、『フラジャイル 病理医岸京一郎の所見』、『ラジエーションハウス』、『病室で念仏を唱えないでください』、『アンサングシンデレラ 病院薬剤師 葵みどり』など、そのうちのいくつかはマンガを原作としています。

 では、「医療マンガ」とはどのようなジャンルなのでしょうか?
 実はまだ明確な定義が定まっているわけではありません。 マンガ批評家の夏目房之介氏が、ある医療雑誌の「物語の中の医師たち」という特集号に医療マンガのジャンルに関する記事を寄せていました。その中で氏は医療マンガの成り立ちについて、次のように書いています。

ドラマ化されたマンガ作品例

日本では現在までに、まことに多くの医者マンガ、医療マンガが生まれており、そのうち、かなりの作品がTVドラマや映画になって話題になっている。いわば、マンガを中心にして、いつの頃からか(多分80年代以降)「医療もの」というマンガ~映像ジャンルが、何となくできあがっているのだ。

夏目房之介「医療マンガというジャンルと『ブラック・ジャック』」(2013年)

医療マンガジャンルの淵源ともいえる手塚作品

 ここで「何となくできあがっている」というこの一見、漠然とした表現が示しているように、日本のマンガ文化史において発展してきた「医療マンガ」とみなされる領域は明確なジャンル定義をこえる形で発展を遂げてきました。この記事においても、医師免許を所持していた手塚治虫による『きりひと讃歌』(70~71年)、『ブラック・ジャック』(73~83年)を「医療マンガ」ジャンルの起源として定め、さらに前史として、ちばてつやの『ハチのす大将』(63年)を参照しながら、このジャンルの多様性を示す具体的な作品として、佐々木倫子『動物のお医者さん』(87~93年)、および『おたんこナース』(95~98年)、佐藤秀峰『ブラックジャックによろしく』(02~10年)、村上もとか『JIN-仁』(00~10年)を取り上げその発展の流れを辿っています。
 この記事では、「医療マンガ」は時折「医者マンガ、医療マンガ」と言い換えられています。このジャンルを捉える一つの重要な観点として、(獣医も含めて)「医者」が登場することをひとつの条件とみなしていることは注目に値するものです。

多様化する「医療マンガ」

 夏目氏の記事はそれが発表された時期からもわかるとおり、2010年頃までの「医療マンガ」を総括する試みでした。ナースが主人公である『おたんこナース』を「医療マンガ」の例として引きつつも、「医者マンガ」と言い換えていた背景には、医者以外の医療従事者への注目が低かった時代背景もあると思われます。
 2010年は、国が「患者中心」に医師、看護師、薬剤師、放射線技師、管理栄養士、リハビリ技師、医療ソーシャルワーカーなど、さまざまな医療従事者が連携をとりあって患者対応にあたる「チーム医療」を推し進めはじめた時期と重なります。こうした医療現場の傾向を反映し、「医療マンガ」においても職業の細分化がトレンドになっていき、2010年代から現在にかけて 、「医療マンガ」とみなされるジャンルはさらに細分化し、多様な発展を遂げてきています。
 2020年5月2日付の『日本経済新聞NIKKEIプラス1』「何でもランキング」( https://style.nikkei.com/article/DGXMZO58582760Y0A420C2W01001/ )において、「夢中になれる医療マンガ」という特集記事が掲載されました(当協会も作品リストを提供するなど協力しました)。

  • 『透明なゆりかご』(沖田×華)
  • 『アンサングシンデレラ 病院薬剤師 葵みどり』(荒井ママレ)
  • 『フラジャイル 病理医岸京一郎の所見』(原作/草水敏、漫画/恵三朗)
  • 『Shrink~精神科医ヨワイ~』(原作/七海仁、漫画/月子)
  • 『コウノドリ』(鈴ノ木ユウ)
  • 『JIN-仁』(村上もとか)
  • 『ラジエーションハウス』(原作/横幕智裕、漫画/モリタイシ)
  • 『リウーを待ちながら』(朱戸アオ)
  • 『医龍― Team Medical Dragon ―』(乃木坂太郎、原案/永井明)
  • 『放課後カルテ』(日生マユ)

 この記事で選出された10作品を概観してみるだけでも、登場人物の立場が、外科医、脳外科医、産婦人科医、病理医、精神科医、放射線科医、学校医、病院薬剤師、放射線技師など多岐にわたっていることがわかります。
「医療マンガ」とは一義的には医師および医療従事者が登場するマンガであり、当初は医師という職業が中心だったものが、医療業界物 ― 医療の専門職種や医療機関の舞台裏に焦点を当てるマンガ ― として発展してきているものといえるでしょう。

この2作品もドラマ化されている

「生命」という普遍的な主題を扱うマンガ

 先ほどチーム医療の話題で、「患者中心」という言葉を出しました。
 「医療マンガ」にとっても「患者中心」というキーワードは重要さを増しています。
 医療の歴史は、長らく、患者は治療のすべてを医師に委ねるべきというパターナリズムと呼ばれる考え方が支配していました。マンガの中で描かれる医師像、患者像も時代を反映して変化していきます。
 現在の「医療マンガ」ジャンルの魅力は、患者を中心として、医師をはじめとする医療従事者のそれぞれの視点による人間のドラマを描くチーム医療の舞台裏を垣間見ることができるところにこそあるのでしょう。
 現実において、チーム医療を支える多様な医療従事者の舞台裏は、たとえ私たちが患者として医療の「当事者」となったとしても見えにくい世界です。マンガはそれを私たちに覗かせてくれます。
 患者には患者の思いや事情があり、医療従事者には医療従事者のそれぞれの思いや事情があります。「医療マンガ」の人間ドラマの中で、しばしば医療従事者と患者たちのジレンマが描かれます。こうした病や治療をめぐる描写を通して「生」とは何かを問い直す主題は、「医療マンガ」というジャンルの根幹に位置づけられるものです。
 「医療マンガ」の最近の潮流から見えてくるのは、高度に専門化するチーム医療の傾向だけではありません。患者およびその家族など医療従事者を外側から捉える視点のエッセイマンガ(とりわけ闘病エッセイマンガ)が活況を呈しています。「医療」と一口に言っても、病気やケガの治療だけではない、人間が生きていくためのさまざまなテーマが描かれるようになってきています。
 この人間が生きていく上で避けられないさまざまなテーマ「病気、老い、障がい、人と異なること(例:性的アイデンティティなど)」を包括する概念として、私たちは「障・病・老・異」という言葉を「生存学」から引用しています。「生存学」とは立命館大学生存学研究所が中心となって進める、さまざまな研究者たちが学問の領域を超えて『障・病・老・異』について当事者の人々の経験や語りを集め、学問的考察を行う学際的活動です。

 ここで一端、「医療マンガ」を暫定的に定義するなら、「医療マンガ」とは、①医師および医療従事者が登場するもの、②医療の専門職種や医療機関を舞台に設定しているもの、そして、③「障・病・老・異」のテーマにおいて「生命」という普遍的な主題を扱うもの、ということができるでしょう。

包括的な概念としての「グラフィック・メディスン」の応用

 私たちが「医療マンガ」を考える上で有効なツールとして提案したいのが、グラフィック・メディスンの考え方です。
2007年に英語圏で発足し、当協会の理念ともなる「グラフィック・メディスン」は、数値化を過度に重視しがちな近年の医療をめぐる状況に対し、そこからこぼれおちてしまう側面に目を向けることの大切さを提唱しています。
 例えば、「グラフィック・メディスン」は「一般的患者」という概念を嫌います。詳しくは別の記事で改めて紹介したいと思いますが、患者を「個」として捉え、それぞれの患者の物語に耳を澄まそうとする動きと、マンガという媒体が持つ表現力が結びついたムーブメントなのです。
 アメリカのペンシルバニア州立大学の医学生教育の現場では、患者一人一人の価値観に寄り添い向き合うための教育手法として、マンガが活用されています。そうしたマンガの中には、医学、病、障がい、ケア(提供する側および提供される側)を扱う作品もたくさん存在しています。

 こうした「マス(多)」ではなく「個」に向かう流れは、日本の「医療マンガ」の傾向とも軌を一にしたものでしょう。我が国の「医療マンガ」では、現在、多様な視点の物語や個の体験を綴ったエッセイが発展を遂げている最中にあります。

 グラフィック・メディスンの創設者のひとりMK・サーウィックは、グラフィック・メディスンは、マンガ媒体とヘルスケア言説の交差点であると言っています。
 豊潤な日本の「医療マンガ」に「グラフィック・メディスン」の考え方を応用することで、「障・病・老・異」を包括した「医療マンガ」が私たちにとってさらに身近で、かけがえのないものになるかもしれません。

 数値化や細分化された専門区分からこぼれおちかねない領域に目を向け、医療従事者、患者とその家族などさまざまな視点を繋ぐコミュニケーションのかたちとして「医療マンガ」をとらえ直すことにより、「医療マンガ」のジャンルの魅力や社会的役割も浮かび上がってくることでしょう。
 医療現場で、医療従事者、患者とその家族などさまざまな視点を繋ぐコミュニケーションツールとして医療マンガが大いに役立つ日も遠くないのではないかと思うのです。

患者サイドの視点にたったエッセイマンガ例

開かれた概念としての「医療マンガ」への招待

 「医療マンガ」と一口に言っても、ドラマに力点を置いた作品から、ギャグ、コメディ、サスペンス、歴史ロマン、闘病エッセイマンガ、ドキュメンタリーなどそのあり方もまた多様であり、初出となる雑誌などの媒体の特性や時代の傾向なども見えてきます。海外の同様のジャンルの比較考察も興味深いものとなるでしょう。
 「医療マンガ」は豊かな歴史を持つものですが、その探求の道はまだはじまったばかりです。医療マンガに定まった読み方などありません。読み手の立場、環境等によって、同じ作品であっても楽しみ方や読みどころが変わってくることもあるでしょう。グラフィック・メディスンの理念はさまざまな立場にいる私たちを繋ぐプラットフォームを築くところにあります。医療や健康は私たち皆にとっての共通の関心事です。
 ぜひ多くの皆さんとこの「医療マンガ」の魅力を共有し、これから一緒に「医療マンガ」について考えていけることを願っております。

<参考文献>

  • 夏目房之介「医療マンガというジャンルと『ブラック・ジャック』」『月刊保団連』(2013年1月号、17-22頁)。
  • 立命館大学生存学研究センター編『生存学の企て 障老病異と共に暮らす世界へ』(生活書院、2016年)。
  • MK・サーウィック、イアン・ウィリアムズ、スーザン・メリル・スクワイヤー、マイケル・J・グリーン、キンバリー・R・マイヤーズ、スコット・T・スミス『グラフィック・メディスン・マニフェスト マンガで医療が変わる』小森康永、平沢慎也、安達映子、奥野光、岸本寛史、高木萌訳(北大路書房、2019年)。
  • 『日本経済新聞NIKKEIプラス1』「何でもランキング 企画:夢中になれる医療マンガ」(2020年5月2日付)。
    https://style.nikkei.com/article/DGXMZO58582760Y0A420C2W01001/
  • 中垣恒太郎「人生を豊かにするための『グラフィック・メディスン』――『医療マンガ』の応用可能性」(メディア芸術カレントコンテンツ https://mediag.bunka.go.jp/article/article-16422/