2024年11月26日、GMイベント【ヤングケアラー体験とマンガで描く障害のナラティブ「当事者マンガ翻訳プロジェクト」の使命】を開催いたしました。西荻窪のGM事務所とZoomWebinarの同時開催で、多数のご参加をいただきました。
講師の奥山佳子教授はハワイ大学ヒロ校の日本研究学科教授で、日本のマンガ文化と障害者ナラティブの研究に取り組む第一人者で、著書に『Reframing Disability in Manga』や『Tōjisha Manga: Japan’s Graphic Memoirs of Brain and Mental Health』があります。講演では、奥山先生の個人的な経験と研究の成果を交え、障害や精神疾患を描くマンガの可能性について語っていただきました。会場からは多くの質問を頂戴し、活発な議論が行われました。
以下に、講義の内容をレポートします。
ヤングケアラー体験とその影響
奥山先生自身の体験
奥山先生から、ご自身が母親の強迫性障害(OCD)のケアを行った経験について語っていただきました。まさにヤングケアラーであったご自身の体験です。ヤングケアラーは、家族の介護を担う子どもたちを指し、子ども時代を犠牲にすることが多い存在です。
幼少期から母の病を抱える家庭環境で育ったことが、自身のメンタルヘルスにも影響を与え、高校時代に摂食障害を経験されたこと、そこから回復されるさまざまな過程が、現在の研究につながっていることを伺いました。
「外に出る」ということがひとつの契機になったと語る奥山先生。ヤングケアラーの共通点として、精神的なストレスや社会的な孤立が起こりやすいことをあげ、ご自身の体験を踏まえ、自分を取り戻すために家庭を離れる決断が必要な場合もあるとおっしゃっていたのが印象的でした。
グラフィック・メディスンの可能性
奥山先生は「マンガは単に楽しむだけでなく、苦しい状況に置かれた人の心を支えるツールである」と言います。ご自身もヤングケアラーとして苦しい時期にマンガに支えられた経験があり、ファンタジー要素やハッピーエンドが「希望を感じさせてくれた」心の支えであったとのことです。
一方、ご専門のマンガの教育的な役割についても解説いただきました。マンガはナラティブ教材として活用できる非常に優れた媒体であり、患者のナラティブである「当事者目線」の重要性が示されました。次にビジュアル教材の効果・利点として、ビジュアル表現とテキストの相乗効果が、精神疾患の体験や障害への理解を深めるうえで効果的である点を強調されました。
教育現場でのマンガの活用例
ハワイ大学での実践例として、授業では、英訳されているストーリーマンガとエッセイマンガを教材として使用し、障害やメンタルヘルス、ジェンダーの交差点等について学生と議論されているとのことでした。教材マンガの具体例として、車いすバスケットボールを描いた『REAL』(井上雄彦 英語タイトル:REAL)、視覚障害者を主人公とする四コママンガ『ヤンキー君と白杖ガール』(うおやま 英語タイトル:LOVES IN SIGHT!)や、トランスジェンダーの体験を描いた『ボーイズ・ラン・ザ・ライオット』(学慶人 英語タイトル:BOYS RUN THE RIOT)、発達障害を描いた『発達障害と一緒に大人になった私たち』(モンズースー 英語タイトル:MY BRAIN IS DEFFERENT)等が挙げられました。
その中で、奥山先生はマンガの多様性と実用性に触れ、「マンガは短時間で共感を呼ぶ教材として、教育現場で非常に有用である」と説明されました。患者ナラティブの多様性を示す作品が、医療や地域社会におけるメンタルヘルスへの理解を深める手助けとなることが示されました。
翻訳プロジェクトの概要と使命
プロジェクトの目的
奥山先生は、現在、日本の当事者マンガを英訳し、アメリカの教育現場で使用する「当事者マンガ翻訳プロジェクト」(Manga on the Mind – What Japanese Comics Can Tell Us About Mental Health)をすすめられています。翻訳にはコーネル大学のナオミ・ダーソン氏やクリス・カイジョーンズ氏が協力し、精神疾患のテーマに基づく章構成で作品を選定しています。
うつ病、摂食障害、パニック障害などメンタルヘルスをメインテーマに持つ「当事者マンガ」(メンタルヘルスの体験を当事者が描いたマンガ)の作品を部分翻訳し、記号論的解説とセラピー論からの分析するものです。アメリカの学術出版社Springerから出版される予定です。
奥山先生は「このプロジェクトは、母への恩返しとして、自分の使命と感じている」とのことで、障害や精神疾患への早期理解と治療を促進することが目標であると語られていたのが印象的でした。
質疑応答でのやりとり
当日は会場とウェビナーから多くの質問が寄せられ、活発な議論が行われました。その一部をご紹介します。
1. 「当事者」という概念と英語圏での適切な訳語について
日本語の持つ「当事者」のニュアンスを英語に変換する難しさに関する質問です。奥山先生はその難しさに同意され、「当事者」という言葉には精神障害やメンタルヘルスの文脈にとどまらない広い意味が含まれており、単に「患者」や「精神障害者」と表現するよりも柔軟性があると述べました。一方で、英語圏では「ペイシェントパースペクティブ(患者視点)」という表現を用いることが多く、日本語と英語でニュアンスの違いを指摘しました。
2. 日本とアメリカのグラフィック・メディスン作品の違いについて
奥山先生は、日本とアメリカでの医療系マンガやグラフィック・メディスン作品の表現スタイルの違いについて説明しました。
- 日本では、読者に共感を得るストーリー作りが重視され、医療従事者との協力が強調される傾向がある。患者と医療者が協力し合う描写が目立つ。
- アメリカでは、個人の体験を赤裸々に描く傾向が強く、医療制度や医療従事者への批判が含まれる場合もある。
3. 日本独特の文化背景をもつマンガをアメリカの学生は受け入れられるのか?
日本のマンガがアメリカの学生にどのように受け入れられているかについて、奥山先生は具体例を交えて回答しました。日本特有の「集団調和」や「周囲との適応」を重視する描写に対し、アメリカの学生は「自分らしく生きる」という価値観の違いを感じると述べました。そのため、マンガを使った授業では、作品の文化的背景を丁寧に説明することが重要であるとのことでした。関連して、翻訳時の文化的な違いについても触れられました。具体例として、日本の食文化に根ざした「寒天」などのゼロカロリー食品がアメリカの学生にはなじみがなく、説明が必要だったケースが挙げられました。こうした文化的ギャップを埋めるために、翻訳時には読者の視点を重視して作品を選び、必要な補足を行う工夫が必要であるとのことです。
奥山先生の回答を通じて、マンガが医療やメンタルヘルス、文化理解のツールとして持つ可能性が改めて強調されたように感じました。また、日本とアメリカの文化的背景の違いを理解し、それを活用する方法についての示唆も得られました。
グラフィック・メディスンの今後の活動や教育現場での応用に向けた具体的な課題と展望が共有される、有意義なセッションとなりました。
文・構成 落合隆志(日本グラフィック・メディスン協会理事長)