STUDY SESSION
勉強会報告

定期勉強会レポート[07]
【テーマ:『発達障害』をテーマとする日仏作品を比較して】
海外マンガ翻訳家と医書専門編集者に訊く医療マンガ出版事情

 2022年10月26日(水)、日本グラフィック・メディスン(GM)協会2022年第7回定期勉強会を開催いたしました。当日21名のお申込みをいただきました。

 GM協会では、国内外の医療マンガ作品の紹介の他、未翻訳作品の発掘や、国内マンガ家の描きおろしや未発表作品のリサーチも行っています。
 これまでの勉強会でとりあげた海外GM作品の中にはすでに翻訳企画が進んでいるものもありますが、GM作品を日本で出版していくにはどうすればいいかという意図から、今回の勉強会を企画しました。

 ゲストにお迎えしたのは出版の前線で活躍されるお二人のプロフェッショナル。
 日本を代表するフランス語圏のマンガ〝バンド・デシネ〟の翻訳家で、『見えない違い 私はアスペルガー』の翻訳を担当された原正人さん。
 『ヒトはそれを『発達障害』と名づけました』を担当された編集者で、発達障害の子供の余暇活動支援の研究者でもある、金子総合研究所(㈱金子書房)所長の加藤浩平さん。

 実際にお二人が携わられた2作品を読み進めながら、内容のレビューと並行して、作品のリサーチ、企画化、コスト面の課題など、実践的な知識を、フリートーク形式で伺っていきました。
 普段触れることができない、プロフェッショナルの書籍企画のリサーチ方法や、出版企画の提案方法、コスト面の課題対策などを知る大変貴重な会になりました。
 改めて、ゲストのお二人に感謝申し上げます。

 冒頭の挨拶で、中垣恒太郎(なかがき・こうたろう)代表が、「発達障害」をテーマにしたエッセイマンガ、ストーリーマンガ作品を紹介しました。
 GMは英語圏中心の活動ではありますが、近年、イタリア、スペインで支部が開設されるなど、ヨーロッパ圏にも活動が広がりつつあります。
 中垣は、フランス人女性アーティストが描く「女性の生きづらさ」、女性のライフコースをめぐるさまざまな「見えない違い」をマンガがどう表現しているのかに注目しつつ、GMとしてエンターテインメントしてのマンガと教育的啓発的なマンガをどう有効に活用していくのかという視点を投げかけました。
 専門書⇔一般書、日本⇔フランスと切り口が違う2つの作品が、どう「発達障害」と向きあっているのかを軸に、本日のメインテーマに移行します。

勉強会で紹介した発達障害をテーマにした日本の作品例

日仏の発達障害作品を読み、出版事情、翻訳事情を伺う

専門書の視点で発達障害をマンガで啓発する

『ヒトはそれを『発達障害』と名づけました』

 最初に紐解いたのは『ヒトはそれを『発達障害』と名づけました』です。
 発達障害当事者による発達障害支援マンガとして、筑波大学DAC(ダイバーシティ・アクセスビリティ・キャリア)センター職員「ダックスさん」が、学生の支援を目的にして描いたものがベースになっています。一部が著作権フリーで公開されており、そこに書籍用の描きおろしページを追加して出版されたものです。
 障害科学の専門家による確かな監修と、動物のキャラクターによる発達障害の分かりやすいタイプ別解説は、伝統ある心理と教育専門の出版社金子書房の出版物ならでは。
 単なる絵解き物の学習マンガではなく、当事者へのインタビューによる当事者意識が描かれている点も注目です。

「『発達障害』と名づけました」というタイトルが示すものは?

 内容を読み進める中で、「名づけられた人→診断を受けた人」「名づけられていない人→診断を受けていない人」という切り口が作品内で示されていることに気づきます。
 後半の描きおろし『発達障害のグレーゾーン』では、まだ発達障害とは診断されていませんが、何か息苦しさを感じているグレーゾーンのキャラクターが描かれています。
 本書は、前半がカラー、後半がグレースケールで表現されており、「前半は名づけられた人」、「後半は名づけられていない人」という見事な対比にもなっているのですが、ここには思わぬ裏事情もありました。

原正人さん、加藤浩平さん

教えて、加藤さん。医書専門編集者に訊く医療マンガ出版事情

金子総合研究所(㈱金子書房)所長の加藤浩平さん

加藤 浩平さん。
金子総合研究所(㈱金子書房)所長、
東京学芸大学非常勤講師、博士(教育学)。
専門は発達障害・特別支援教育。
テーブルトーク・ロールプレイングゲーム(TRPG)などの余暇活動を通じた社会性・コミュニケーション支援の研究などに取り組む。

 さまざまなGM作品を世の中に広めていきたいGM協会としては、どうしたら、出版企画が通るのかを教えてほしいというのが今回の勉強会の目的でもあります。
 加藤さんには、無理を承知で出版社の内部事情に迫る質問を投げかけさせていただきました。

Q.この企画は持ち込みですか?出版社側からの企画ですか?

 私が企画しまして、著者にアプローチした作品です。これまで金子書房はマンガをメインにした出版物をあまり出してきていません。本書の前半部分はwebで公開されているのですが、発達障害の基本類型をキャラクター化してわかりやすく説明している類書がなかったこと、専門家・専門機関が監修としてついている作品であったことも決め手の1つでした。ただし、公表されている部分だけだと、50ページほどで書籍にするにはページが足りません。最低でも100ページは必要ということで、描きおろしをお願いする形の企画書を作成しました。

Q.「発達障害」のテーマは今が旬なのでしょうか?

 発達障害が現在も注目されているテーマなのは間違いありません。それまでも発達障害は専門分野で扱われていたトピックですが、私個人の経験から言えば、最初に大きく注目された時期は2000年代前半だと思います。2005年に発達障害者支援法という法律が議員立法で成立したのがきっかけで、学校教育、特に通常学級での特別支援教育が日本各地で実施されることになるなど、教育や医療・福祉、就労などの領域が体制の準備をしなくてはならなくなった時期にあたります。
 スクールカウンセラー、臨床心理士の方々は、資格取得時に発達障害の知識を学ぶ機会がありませんでした。そこを起点にして、さまざまな発達障害関連の専門書が発行されていったわけです。
 その後徐々に一般化されていき、現在は「発達障害」という言葉がある程度社会に根付いた段階と言えるかもしれません。

Q.想定している読者ターゲットは?

 学校の先生や心理職の方々、その他、医療・福祉等の分野で発達障害のある子どもや大人に関わる支援者の方々になります。それにプラスして、発達障害について詳しく知りたい保護者の方々や、10代~20代の当事者の人たち、そしてその周囲にいる発達障害に関心を持っている人たちにも手に取って欲しいと思っています。大学生や高校生が読めるように図書室や図書館に置いていただくことも想定しています。

Q.企画を通すために苦労したことはありますか?

 マンガという(我が社としては)あまりない企画でしたので、色々苦労はしましたが、特に制作コストの問題では苦労しました。企画編集会議を通すときもコスト計算は大切です。
 本書は、前半がカラー、後半がグレースケールでという構成ですが、その背景には、印刷コストの削減という大人の事情が絡んでいます。オールフルカラーでは予算をオーバーしてしまう恐れがありました。そこで、描きおろし部分をモノクロにすることを思いつきました。
 打合せの結果、後半の内容を『グレーゾーン』を主なテーマにしたため、表現として意義あるものになりました。予算が間に合えばオールフルカラーだったかもしれませんが、内容も別のものになっていたかもしれません。いずれにしても企画立案時には、コスト意識はシビアです。

* * *

 個人的に加藤さんのお話で最も驚いたのが、専門書出版において「発達障害」が注目されていたのは2000年代の前半だという点です。
中々専門出版の企画事情を伺う機会はありませんが、先に専門書があり、その後に一般化されていく流れがあるのだということです。とはいえ、最近は、一般化されていくスピードが加速度的に上がっているような気もします。
 「発達障害」そのものを主題としたマンガではなく、ひとりの人間の喜び、痛み、怒りの要素としてそれがあるとして表現されている作品も増えています。
 現在は、「発達障害」という言葉がある程度社会に根付いた段階とも言えるでしょう。
 とはいえ、「発達障害」という言葉は存在が共有されただけで、まだまだ理解されていないのではないか、と加藤さんのお話を伺いながら感じました。

国境を超えて女性の生きづらさを描く作品

 今回の勉強会でとりあげた『見えない違い 私はアスペルガー』は、2016年にフランスで発表されたバンド・デシネです。
 フランスでの出版から邦訳出版までわずか2年足らず。
 通常の海外マンガの翻訳から考えると、異例のスピードで翻訳されています。その結果、国を跨いで共通する時代を包む空気、同時代性を担保した作品と言えるでしょう。

『見えない違い 私はアスペルガー』

アスペルガー症候群から普遍化して描かれる女性の生きづらさ

 主人公は、27歳の女性、マルグリット。原作者ジュリー・ダシェの分身。アスペルガー症候群(以下、ASD:自閉スペクトラム症と表記します)が大きなテーマではあります。しかし、ASDの人の特徴的な日常が描き出すのは、得体のしれない何かへの息苦しさを抱えながら必死に生きていく一人の女性の日常でもあります。

 物語はモノトーンでスタート。マルグリットがストレスを感じるものは「赤」で表現されています。前半では、聴覚や視覚など感覚過敏、自分のルーチン、周囲との軋轢、それに伴うストレスと悩みが描かれていきます。
 後半、自閉症の診断を得て自分を受け入れることができた解放感と共に、ASDに関する周囲の偏見との対応を挟みつつ、ページの色合いは鮮やかに変化していくのです。
 この前後半での色相の変化は『ヒトはそれを『発達障害』と名づけました』との共通点ともいえます。
 さながら、『見えない違い』の前半は「(ASDと)名づけられる前」の状態、後半は診断を受け「(ASDと)名づけられた」状態と言えるでしょう。

前半のモノトーンが後半でカラーに変化する。

前半のモノトーンが後半でカラーに変化する。

教えて、原さん。海外マンガ翻訳家に訊く医療マンガ出版事情

原 正人さん

原 正人さん。
フランス語圏のマンガ〝バンド・デシネ〟の翻訳家。
1974年静岡県生まれ。
世界のマンガをクラウドファンディングで翻訳出版する〝サウザンコミックス〟の編集主幹でもある。

「僕自身がそもそもまずアスペルガーの本を訳そうと思ってなかったんですよ」

 勉強会での原正人さんのこの言葉は、GMにとって意義あるものでした。
 GMの定義からは医療マンガに属する『見えない違い 私はアスペルガー』ですが、原さんにとっては必ずしもそうではありません。
 これまでに100冊以上の海外マンガを邦訳されてきた原さんがおっしゃる言葉には、GMが発展していくためのヒントがあるはずです。
 原さんには、無理を承知で翻訳家の仕事の流儀に迫る質問を投げかけさせていただきました。

Q.この作品は原さんの持ち込み企画とのことですが、どうやってリサーチされたのでしょうか?

 当時、僕がAmazonフランスでベストセラーのマンガ作品をチェックしていて見つけた作品です。Amazonで探していたのにはある理由があります。
 僕はもともとバンド・デシネ(以下、B.D.)の中でもアート的なものをかなり翻訳してきていましたが、当時、そういったものがなかなか企画として成立しなくなってきていたのです。ある意味、職業翻訳家としての危機といってもいいかもしれません。
 B.D.は基本的な読者が男性だとずっと言われてきたメディアで、近年状況が変わってきたと言っても、読者層に占める女性の割合は20%ないと言われています。職業柄、刊行されるB.D.を習慣的に定期チェックしていましたが、この作品の情報は知りませんでした。
 要するに、『見えない違い』は、作品のリサーチする視点をB.D.のコミュニティの枠から外したことで出会えた作品だったのです。

Q.この本の市場価値を判断したポイントはどこですか?

 当時、この本がフランスですでにベストセラーだったかどうか、正直、フランス国内での詳しい動きは分かりませんでした。僕が調べたのはおそらく2017年だと思いますが、その当時、Amazonのコメント欄にはすでに100個ぐらいコメントがついていました。日本のマンガのAmazonのコメント欄には1000以上のコメントがついていることも珍しくはありません。しかし、フランスにおいて、この内容でコメントが100ついているということは相当高い評価だと判断しました。(2022年10月現在コメントはおよそ800)
 これは、いわゆるB.D.を読む層とは異なる読者に届いた作品だということでしょう。フランスの女性がマンガを読むという、ちょっとした時代の変化を感じました。

Q.企画を持ち込む出版社はどのように決めたのですか?

 僕自身がそもそもまず発達障害の本を訳そうと思ってなかったんですよ。
 この本を初めて手にとって面白いと思ったところは、主人公のマルグリットが彼氏に誘われパーティーに行くんだけど、居心地の悪さを感じるシーンです。
 僕の中のフランス人女性像としてパーティーのような社交の場がすごく好きで、それを楽しんでいる人が多いという思い込みがありました。実際に、多くのフランス人は本当にパーティーが好きだと思いますけど、そういったコミュニケーションが苦手なフランス人女性がいるんだっていうのが、僕にはすごく面白くて。
 そして、これは日本人と共通しているところがあるよなと感じたわけです。
 企画を出版社に提案する上で、日本の読者層と何かしら繋がる感覚、翻訳する必然性を明示しないといけません。MeToo運動が活発になっていた折でもありましたが、それは発達障害の本を訳すことではなく、女性の生きづらさを描いたマンガを訳すことだったわけです。
 この本は花伝社という版元から出ているのですが、花伝社はこの本より以前に社会性の強い海外マンガを出版していました。ある種の社会問題を扱う、社風や出版企画の傾向に沿った複数の版元に提案を持ち込むのが大前提だと考えていました。

Q.翻訳者を目指す方に出版社への企画提案について何かアドバイスをいただけますか?

 僕は割と営業するタイプの翻訳者なので、アポイントを取って実際に書籍をもってお話をすることが多いです。企画書を作りこむよりは、実際の本をもってトークと熱量でその場を盛り上げていくタイプです。
 この辺は僕の個性に由来することでもあるので、マニュアル化はなかなか難しいのかなと思いますが、大事なのは編集者がこの本はいい本かもなと思ってくれることです。やり方はなんでもいいと思いますが、持ち込みをする翻訳者はそれが伝わる努力をするべきです。
 この本に関して、僕自身が企画書を書いた記憶はありませんが、企画書手前の詳しいレジュメは作りました。マンガの翻訳者におそらく共通する悩みだと思いますが、マンガは絵と文とテキストから構成されています。テキストだけのレジュメで出版社を説得するのは難しいと思います。そこで、実際のマンガのページを開きながら、このページは何が描いていると分かるようなタイプの割と長いレジュメを作るわけです。興味がない人はそんなものを作っても読んでくれませんが、この本は面白いかも、自分の出版社から出版してもいいかもと考えている編集者なら、読んでくれることでしょう。
 編集者に擬似的に読むという体験をしてもらって、企画の良さを納得してもらう、こんな、すごく愚直なやり方でしかないんです。
 まず作品の力があるってことは大前提ですが、編集者はとにかく「フックがあるかどうか」と口にします。読者がいるのか、興味を持つ層はどの辺りかということを気にします。
 この本の場合は、「発達障害」はもちろんですが、それだけでなく、「女性の生きづらさ」をフックとして提示したことが、企画成立につながったのではないかと思います。

『見えない違い 私はアスペルガー』

翻訳出版ではさまざまなローカライズが行われる。
例えば、原著の表紙と日本版の『見えない違い 私はアスペルガー』の表紙はトーンが真逆だ。
原著では生きづらさを前面に出し、邦訳ではそこから抜け出した解放感が描かれている。
ちなみに原題に『私はアスペルガー』という副題はない。

 最後に、原さんにはGM作品を出版するための手段として、原さんが編集主幹を務めるサウザンコミックスというレーベルでのクラウドファンディングによる出版についてお話をいただきました。
 すでに5冊の本のクラウドファンディングを成功させている手法は、海外のGM作品の翻訳のみならず、国内の未発表作品等を紹介していきたい協会としても大変参考になりました。
 ちなみに勉強会終了後のアフタートークの二次会が、録画なしということもあるためか、毎回盛り上がっております。本レポートに記載したくてもできないエピソードもたくさんありました。皆さんも、ぜひお時間があれば覗いてください。