第10回グラフィック・メディスン国際学会は、2019年7月11日-13日にイギリスの南の海辺の町、ブライトンで開催されました。夜の9時半ころまで外は明るく、お天気にも恵まれて、会場のブライトン大学にも、海猫の群れが飛びまわっていました。
今回は、記念すべき第10回大会で、”Queerying Graphic Medicine: Paradigms, Power and Practices”がテーマでした。私は、2010年にロンドン大学で開催された第1回大会”Comics and Medicine: Medical Narrative in Graphic Novels”に出席していました。
そのころ、私は「日本質的心理学会」を立ち上げて5年目、新しい方法論をいろいろ開拓していました。そして、イメージ画を使った「ビジュアル・ナラティヴ」の国際研究をするために、イギリスに滞在していたとき、この学会に巡り会いました。
第1回大会は、ほんの少人数で、1部屋で行われていて、学会とは呼べないような感じでしたが、パイオニアとして新しい学会を立ち上げるのだという渦のような凄い情熱が伝わってきました。最近日本でも翻訳された『母のがん』の作者Brian Fiesの講演などを聴きました。今では一般的になってきた患者さんや家族の方々、当事者の「病いの語り」研究が、当時はまだ珍しいころでした。手塚治虫のマンガについて医療者の視点から発表していた研究者もおり、熱い議論が交わされていました。日本もマンガ大国なのだから、こんなふうに、学術的な研究ができるといいなと思ったことを憶えています。
第10回大会の今回は、発表希望者も200人を超したとかで、参加者も多く、4つのパラレルセッションになっても、部屋に入りきらないほど盛況でした。けれど、初期のころの熱い議論や、以前に参加した2016年のダンディ大会や2017年シアトル大会のときのようなさまざまなビジュアル媒体を使った凝ったイベントやワークショップは、少なくなったような印象でした。主催校によって内容が異なるのでしょうが、どの学会もできて10年近くになると、拡大し発展するとともに初期の熱い渦は消えて、次のフェーズがやってくるのかもしれません。
今回は、クイアーがテーマだったので、当事者の経験談も多くありました。女性か男性か、どちらかを選ぶのに苦労した結果、自分はどちらかを選ぶのではなく、二つとも生きるのだといって、名前も女性名と男性名を連記していた講演は、説得力がありました。
また、エイズをケアする看護師でマンガ家の方の講演で、患者や医師や支援者や周囲の人など、いろいろな人びとのインタビューを、その人々を描いたイラストの似顔絵と多声的な声の表現で発表していたのは、興味深かったです。似顔絵がひとつ出てくるたびに、その人の語りのエッセンスが声で語られ、人々の語りの多様性がどんどん増えていくというプレゼンテーションでした。
ナラティヴ・アプローチでは、いつ、どこで、誰が見ても同じものは同じ、つまり「事実(ファクト)は一つ」と考えてきた従来の科学の世界観に対して、「真実(トゥルース)は多様」であることを主張してきました。社会・文化・歴史的文脈(コンテクスト)や立場によって、ものの見方は変わるはずです。そのように考えは変わってきても、学会発表のしかたは、あまり変わっていませんでした。あいかわらず言語に頼ることが多く、発表のしかたそのものから、ものの見方を変革しようとするチャレンジはあまりされませんでした。このように学会のプレゼンのしかたそのものも、ビジュアルなど多様な媒体を使うと、さまざまに工夫できそうです。
ビジュアル・ナラティヴは、メタファーを生みやすく、イメージを自由に生成的に生み出して、新しい見方を提示するとともに、人びとに共感的に伝えるのに役立ちます。そのことを、今回も実感しました。特にことばで表現することが難しい「痛み」「不安」「恐怖」「孤独」などの身体感覚を伝えるのに、抜群の強さを発揮すると思いました。
日本でも、最近、グラフィック・メディスン協会が立ち上がり、マニフェストも翻訳されて、いろいろな分野の研究者が集えるようになったことは、大変うれしいことです。グラフィックな表現は、マンガだけではなく、絵本や描画や映像やアニメなど多様な分野を含みます。グラフィック・メディスン協会が、医療分野に限らず、広く心理学や教育学や社会学を含む学際的な研究交流の場になっていけることを期待しています。
私も、2018年には、『N: ナラティヴとケア 9号』(遠見書房)ビジュアル・ナラティヴの特集号を出しました。また、2019年9月11日-13日に開催される「日本心理学会83回大会(立命館大学)」や9月21日-22日に開催される「日本質的心理学会第16回大会(明治学院大学)」でも、ビジュアル・ナラティヴのワークショップやシンポジウムを企画しています。いろいろなかたちで、さまざまな知恵や方法を交換しながら、交流を深められるといいですね。
編集局